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株主総会シーズンが終わると、
名証 I R エキスポ(2011)の開催となる。
「名古屋証券取引所に上場する企業が、投資家向けに業績や経営戦略などを説明し、最新のIR情報を発信する場」と主催者。
ことしの来場者の顔ぶれを見るに、高齢者の個人投資家の比率が高い気がする。
自分でIR情報をインターネットで取りにいくには、ちょっと縁が無いとお見受けする投資家さんが熱心に各ブースを丹念に回る景色と言おうか・・。
説明者はIT、液晶パネルを駆使して、ポンポンとIR情報を説明していくが、そのテンポの速さが、投資家に咀嚼する時間を差し上げているかどうか、心配なブースもうかがわれる。
ご縁の深い企業のブースには、こちらも思わず力が入るなあ・・。
小弓の庄。
羽黒まちづくり情報コーナーに、なつかしい 旧い写真。
昭和28年(1953)撮影の、丹羽郡羽黒村立・羽黒小学校。
実はこの年、自分が卒業し、
画面の右手に続く、中学校へ入学した。
あれから60年近くになる。
このごろは毎年開くクラス会では、定番のなつかし写真。
写真の校舎は南舎の東半分。 これと同じ北舎が後ろに。
黒松の梁、柱、床板壁板。毎日雑巾掛けをした。
運動場は、毎週全校生徒が横一線に何重にも並んで、
「よーい!始め!」の号令で、小石・草取りを素手でやった。
いま、思うに、孫たち・ひ孫たちには、
芝生の運動場にしてやりたい!のだ。
もちろん手入れは、児童たち自らが、素手でやること。
教職員はもちろん、父兄など大人が手出し口出しは無用。
一年中を通して、子どもたちが、智慧を絞り助け合って、
自分たちが使い、地域の人にも使ってもらう、運動場や校地を自分たちが手入れし使うことを6年間続ける学びと実践を続けてもらいたい。
読み書き、そろばん、知能・技能も大事だが、
徳能徳育の最強の体験は、トイレ掃除・生きもの育てと、
運動場・どんぐり広場の清掃・管理が公徳しつけの真髄。
羽黒小学校に、古い写真が残っていると聞いてはいたが、
最近その複製に出会った・・。
撮影は大正12年(1923)。88年前の米寿もの。
明治6年(1873)「小弓学校」としてわが家の近くに開校した。
地元坂野市十郎さんの自宅地内に起こされたと聞く。
明治22年(1891)に、五条川南側の八幡林の松林一帯の、
おおむね現在地一帯に、小弓学校は新築移転をしている。
明治42年(1909)「羽黒尋常高等小学校」と改組改称される。
そして撮影されたのが大正12年(1923)。
滑り台、運梯など遊具(体力つくり器具?)が、
村人の勤労奉仕で造られているように見える。
写真中央の大きな樹は、羽黒の大松と言っていた松。
自分が小学校を卒業したあと昭和29年(1955)ごろ、
天寿を全うして、伐り倒されたのを想い出す。
明治の中頃のおじいちゃんも、明治後期の親爺も、
自分も、子どもも、孫も、同じ校地の学び舎に学ぶ幸せ。
「いちじく」の実。
ことしの生育は こんなものだったかなあ。
東京オリンピックが過ぎた頃かな、
(たぶん鉄・造船・自動車の輸出振興のバーターで)、
オレンジ、大豆、小麦など農産物自由化の波に飲まれた。
矢作川下流部の、麦秋の田園地帯(安城・碧南など)、
いちじくの畑が増えていった、と記憶する。
当時、まだ若造だったので「なんで美田を潰すのか・・」といぶかうばかりだった。
いまでは国内いちじく産地の日本一地帯。
いちじくは日持ちが短い果物なので、輸入輸出に向かない。
ヴィタミン、カリュウム、何よりも食物繊維が多い。
かぶりついたときの食感が またいいものだ。
原産地アラビアとか。
不老長寿の果物といわれるが、そのみのりが待ち遠しい。
梅雨明け10日のカンカン照り。
「毎日 暑いですねえ。」
「ことしは未だ セミの声を聞いておらんなあ。」
言われてみれば、そう、「未だ聞かないねえ・・」
野菜の育ち方も でこぼこだし、セミもどうしたのかなあ。
夏雲が 朝っぱらから、どんどん増える・・。