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17か条の教え          (1319)

パーマリンク 2012/11/03 01:26:58 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 政治評論家:森田実さんがブログで語っている・・


 私の人生を貫く原理・原則の一つが聖徳太子の『十七条憲法』です。第一条が「和を以て貴しと為せ」です。この「和」の精神こそ、日本人の原点です。
 『十七条憲法』全体が日本人の生き方の原点です。以下に引用します。
《一、和をもって貴しとなせ。
 二、あつく三宝(仏、法、僧)を敬え。
 三、詔(みことのり)をうけたわればかならずつつしめ。
 四、礼(れい)をもって本(もと)とせよ。
 五、むさぼりを絶ち、欲をすてよ。
 六、悪を懲(こ)らし善を勧めよ。
 七、人それぞれの任をまもれ。
 八、役人は早くまいりおそくまでつとめよ。
 九、信(まこと)をたいせつにせよ。
 十、こころのいかり、おもてのいかりをすててちがう考えをもった人をうけいれよ。
 十一、功過を明らかにみて正しい賞罰を行え。
 十二、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)は、百姓に苛政をしいてはならない。
 十三、役人は自分の職掌についてよくわきまえよ。
 十四、役人たちよ、嫉妬をするな。
 十五、私欲をすててみんなのためにつとめよ。
 十六、民を使うときは民の都合を考えよ。
 十七、大事の決定は独断でせずに多くの人の知恵をあつめて行え。》
 ここに、日本国民の生き方、日本の政治の原点があります。


 今日の政治家状況を嘆いての一文だ。


 これは国会議員に限ったことではなく、選挙で選ばれて統治・行政に携わる者すべてに通用する。

 選挙の時だけかっこいいこと言う人、にならないように「誠」を通せ、ということだろう。

秋の風                (1318)

パーマリンク 2012/11/02 12:54:30 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 ひさしぶりに遠回りのルートで。

 里山の秋の色づきを見たくなった。


 まだ ちょっと早かったか・・。

手仕事がふるさとを再生する       (1317)

パーマリンク 2012/10/26 23:12:42 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 ひさしぶりに 旧交を温めた日だった・・


 いま彼は、中山間地のふるさと再生に情熱を注いでいる。
 日本地図のど真ん中に位置しながら、中央から、都会から疎外され続ける里。

 単線のJRこそ、川沿いに一本通っている。
 日に上り列車・下り列車が20~30本走っているが、
 列車通学に使えるのは数本づつしかない。


 町の面積の90%以上が山林。 ヒノキ・スギをしこしこ植えてきた。
 収伐できるほどになったいま、丸太を市場に出しても大赤字の値しかつかない。

 丸太を売っては食っていけない世に変わってしまったのだ。
 そこで製品、商品にまで木を加工して世に出したい、という。


 ・・・
 議論の結論は、「手仕事が ふるさとを再生する」。

 江戸・幕末から維新後の世の時代のように、
 「手仕事」「匠の知恵」「木地師の技」の復活・伝承を再生させること、だ。


 手仕事。  木材造形。 指物。 木地師。 曲げ。 ホゾの技。
 農業。  林業。  木地師。  ロクロ師。 ・・・

 高温多雨。 水の恵み。 山の恵み。 木の国。 木の文化。

 再生の道は 見えている。
 
 いい気分のひとときだった・・。

「羽黒小学校の歴史と教科書展」(小弓の庄)   (1316)

パーマリンク 2012/09/16 00:09:23 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

古ぼけた”通知表”            (1315)

パーマリンク 2012/09/15 23:53:13 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 久し振りにのんびりした日曜日、子どもが口すさんでいる歌声に「おや、聞き覚えのある歌だな」と思わず聞き耳を立てた。

   まどにそびゆる おわりふじ  にわをめぐらす はちまんの
   はやしのまつの ふかみどり  とわにしたしき ともなるぞ

 「おとうさん、これ、小学校の校歌だよ」と教えられ、思わず膝を打った。
 「おとうさんのころと、おんなじだ!」

   みるめはるけき おわりのの  小弓が庄に 地をしめて
   きよきまどいの やかたこそ

 そうだ、あのやかたこそ・・・・ 「わがなつかしき ふやなれや」なのだ、と、つい力を入れて、子どもに思い出話をきかせた。

 小学校に入学したのが、昭和22年の春。
 通学帽にランドセル、色とりどりの洋服を着て、軽快な靴を履くこのごろの比べれば、あのころは、今では想像もつかないいでたちだった。さしずめ民芸品として、明治村のおみやげにもなりそうな布の袋に、わら半紙の教科書、ノートを包む。父親が文字通り夜なべをして作ってくれたわらぞうりを履き、指が一つ、二つ顔をのぞかせている足袋が、そのまま教室の上履きであった。

 「ふうん、まるでテレビにでてくるお話みたい」という子どもに、「ちょっと待てよ」と、古ぼけた机の引き出しから探し出した”通知表”。しみだらけですっかりと色が変わってしまったが、それでも一学年から六学年まで全部見つかった。

 国民学校から、小学校になった最初の年に入学、丹羽郡羽黒村立羽黒小学校、第一学年東組とある。一学年に二クラスしかなく、東組と西組だ。

 ”通知表”の名前も、入学当時は”通知表”だが、四学年からは”家庭連絡簿”。
 ”学習状況”の評価もはじめ”ABCDE”だったが、四学年からは”+2 +1 0 -1 -2”から”すぐれている・ややすぐれている・ふつう・ややおとる・おとる”と変わる。

 古ぼけた”通知表”を見つめていると、遠い昔の思い出にいつまでも話しがはずむ。

 父が学び、自分が学んだ小学校に、今ではわが子が学んでいることを思いめぐらすとき、わがふるさと、わが人生に、かけがえのなない貴いものを感ずる。
 
 開校百年を祝す今、このみどりの里に地をしめたわが母校は、いつまでも人の心のよりどころである。   (昭和28年卒)


[出典] 『 羽黒小学校 開校百年記念誌「知新」』
  編集・犬山市立羽黒小学校 昭和48年11月28日・発行 

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地域HP犬山羽黒「ブログ塾」塾生記。晴耕雨読に暮らす。 野良仕事こそ、cultivate耕やす文化(culture)という。

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