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ご近所さんの畑が地ならしされて、あたらしい家が建てられた。
離れて住んでいた子達家族が、近くへお引越しとのこと。
木造在来工法の一戸建て。 きょうは完成比較見学の日。
今様に合理的な 設備まわりのしつらえ。
ほんのりと、あたたかい気分に包まれる。落ち着ける。
「ご近所さんに、お世話になります」と家づくりの本をいただいた。
棚橋泰樹・著 ~工務店のプロでも失敗した!~
『 だから分かった、いい家づくり! 』 日本建築出版社・刊。
著者は会社勤めをはじめて数年後、
宅地建物取引主任者試験に合格。 不動産・住宅会社に移る。
自身は結婚して、当初は 軽量鉄骨集合住宅住まい。
やがて高層マンション暮らしから、一戸建て住宅マイホームへ。
住宅業界に働き、日なたも日陰も知り尽くしていく。
自分の納得がいく家づくりを、お客さんに提供したい。
お客さんの 家族みんなが幸せになれる家づくりを手伝いたい。
自らの会社(木造在来工法の一戸建て工務店)をおこし、
生まれた郷土で、近隣の市町をエリアでとする。
ローコスト住宅研究会、いい家を造る会と、仲間もふえる。
工務店の同志も引っ張っていく社長さんが著わした本。
営業報告書であり、木造在来工法の家づくりのガイドブック。
工法、材料、コストから、使い勝手・暮らしやすさまで、
「安くていい家づくりの秘密」を知ることができる。
何よりも、「みんなの笑顔で満たされた、日だまりのような家づくり」への思いが あふれた本で、著者である社長さんのファンになってしまった。
【写真】 棚橋泰樹・著 ~工務店のプロでも失敗した!~
『 だから分かった、いい家づくり! 』 日本建築出版社・刊。
2009.7.31.初版第11刷発行。星雲社・発売。@1300e
第377回(!) 犬山祭 が近づいてきた。
祭りを盛り立てる中核団体は 犬山祭保存会で、
その会長を長年つとめるは(この人でなければ! と人気男の)
元 犬山市長、前 衆議院議員の石田芳弘さん。
城下町の町屋に生まれ、冬来たりなば春遠からじ とばかりに、
根っからの祭り男が ことしも 先導する。
犬山城の山城に鎮座し、城下の産土神を祀る針綱神社の行粧式である「犬山祭」。 例祭は寛永12年(1635)尾張徳川家家老の犬山城主:成瀬隼人正正虎(なるせはやとのしょうまさとら)の沙汰で、氏子が行粧の車山・ねり物を出し、以来377年後の今日まで継承されてきた。
犬山祭の主役は、13輌の車山(やま)。三層の豪華な曳山(ひきやま)で巡行し、「奉納からくり人形」を披露する。
城下あげての例祭で、ツアー客ら50万人の観光客が押し寄せる。
ことしは 4月2日(土) 試楽祭。4月3日(日)本楽祭。
”この日は 桜が 脇役です”とは、犬山祭保存会のキャッチコピー。
「犬山お城まつり」で、城下は、催事が目白押し・・:4月2~3日:
・・・友好都市交流物産展。 屋台村。 骨董市。 リサイクルフリーマーケット。 茶会。 生け花展。 ぼんでん横丁。 女みこし。 どんでんまつり。 全国古城絵巻五十撰。 わん丸横丁。 犬山おも城市。 しみんてい横丁、などなど・・。
くわしくは 犬山観光協会の「犬山祭」 http://inuyama.gr.jp/festival/731 で。
3月6日 木曽川学シンポジウム。
基調講演は 小井戸由光・岐阜大学教授(地質学)。
長年 気にして来た疑問・・・
「木曽川は美濃加茂市~富加~関市~岐阜市を流れていたか」
きょう結論が出た:
木曽川は、美濃加茂市から二股で流路を取っていた。
一つは、美濃加茂市~富加~関市~岐阜市~ 。
一つは、美濃加茂市~坂祝~犬山市~ 。
ン億年前、地殻の隆起によって、各務野台地、加茂野台地が形成され、隆起の大きかった加茂野台地に遮られて、美濃加茂市~坂祝~犬山市~ の流路だけが唯一の流露となった。
木曽川本流と飛騨川を合流した木曽川の流水量は大きく、川面から200~300mもの渓谷美を造るほどに川底を掘り続けて、「日本ライン渓谷美」を形成していった。
小牧~犬山~各務原~岐阜~あたりを波打ち際とした古東海湖。
(伊勢湾が 奥深くここまで入り込んでいた)
日本ライン渓谷美を形成しながら、掘り進んだ土砂は、現・犬山城下から、犬山扇状地を造りながら、濃尾平野を造り続けた。
根尾谷活断層につながる梅原活断層の先端部に当たる木曽川日本ライン(坂祝~可児市土田)だから、
巨大な断層が引き起こした、大地の「巨大な亀裂」が日本ライン渓谷だろう、という推理は、当たらなかった。
活断層が起こす巨大亀裂か、沈降ではなかった。
美濃加茂~富加~関~の河床堆積でもなかった。
加茂野台地の大きな隆起に行く手を抑え付けられて、坂祝~犬山~を掘り進んだとは・・・・。
「木曽川岸 犬山は、全く(ドイツ)ラインの風景そのままなり」と賞賛した「志賀重昂 先生」も、よもやそこまでは知らなかっただろう。
第8回木曽川学シンポジウムが、
3月6日 フロイデホールで開催される。
楽しみにしていたシンポジウム。
ことしのテーマは「”日本ライン”の不思議」。
木曽川学研究協議会が発足して以来、第8回を迎える。
この間、ずーっと知りたかった関心事がテーマとなった。
基調講演は岩石男:地質学の小井戸由光先生(岐阜大学教授)。
軽妙な語り口調で、グイグイと引き込んでくれる・・。
ン億年前に、木曽川は飛騨川を合流させた後、美濃加茂市から加茂野~富加~関(現・津保川)へ流路を取っていたものが、河床堆積がすすんで、ある時渓谷部の坂祝~栗栖~鵜沼への現・日本ラインルートへ流路を変えた・・。
何が起きたのか? なぜ硬い岩石の山間を流路としたのか?
巨大な断層地震が引き起こしたのか?
長年、小井戸先生が「それはいつかの機会に 明らかにしましょう、乞うご期待!」とされてきたテーマ。
きょうのシンポジウムで明らかになるであろう、と期待している。
第8回木曽川学シンポジウム「日本ラインの不思議」
日時:20111.3.5.(日) 13:00~16:30
会場:犬山国際観光センター フロイデホール
弟子の子路から君子の資格について聞かれた孔子が答えたなかから、修己治人の学、つまり、上に立っ者がどうしても身につけておかねばならない学問として〃帝王学″が生まれた。
日く「 原理原則を教えてもらう師を持つこと。
直言して入れる側近を持つこと。
よき幕賓(パーソナルアドバイザー)を持つこと 」。
この〃原理原則″を見つけ、原論の筋に立ち続けることは至難である。昔は通用したが今は通用しないでは、原理原則の価値がなく、いついかなる時代にも、場所にも通用するべしと頭で分かっていても、仕事の現場で動じることなく信じて言動するには、相当な知識、見識、胆力を要する。
孔子、子路に遠く及ばないわが身なれば、せめて原理原則を見つけるため、情報、事件の発生源にできるだけ近づき、発生現場に目と耳を据えて情報を評価し判断したい。
現場で現物を確認し、位置と方位を見定めて、仕事を現実処理していくのが精々である。
地図帳と航空写真集が、お前の頭は晴れているか、三半規管は作動しているかとでも言いたげに、今日も机の傍らに鎮座している。
[この項:初出稿:1987.12.機関誌TOKAI vol-no.379]
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