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3月6日 木曽川学シンポジウム。
基調講演は 小井戸由光・岐阜大学教授(地質学)。
長年 気にして来た疑問・・・
「木曽川は美濃加茂市~富加~関市~岐阜市を流れていたか」
きょう結論が出た:
木曽川は、美濃加茂市から二股で流路を取っていた。
一つは、美濃加茂市~富加~関市~岐阜市~ 。
一つは、美濃加茂市~坂祝~犬山市~ 。
ン億年前、地殻の隆起によって、各務野台地、加茂野台地が形成され、隆起の大きかった加茂野台地に遮られて、美濃加茂市~坂祝~犬山市~ の流路だけが唯一の流露となった。
木曽川本流と飛騨川を合流した木曽川の流水量は大きく、川面から200~300mもの渓谷美を造るほどに川底を掘り続けて、「日本ライン渓谷美」を形成していった。
小牧~犬山~各務原~岐阜~あたりを波打ち際とした古東海湖。
(伊勢湾が 奥深くここまで入り込んでいた)
日本ライン渓谷美を形成しながら、掘り進んだ土砂は、現・犬山城下から、犬山扇状地を造りながら、濃尾平野を造り続けた。
根尾谷活断層につながる梅原活断層の先端部に当たる木曽川日本ライン(坂祝~可児市土田)だから、
巨大な断層が引き起こした、大地の「巨大な亀裂」が日本ライン渓谷だろう、という推理は、当たらなかった。
活断層が起こす巨大亀裂か、沈降ではなかった。
美濃加茂~富加~関~の河床堆積でもなかった。
加茂野台地の大きな隆起に行く手を抑え付けられて、坂祝~犬山~を掘り進んだとは・・・・。
「木曽川岸 犬山は、全く(ドイツ)ラインの風景そのままなり」と賞賛した「志賀重昂 先生」も、よもやそこまでは知らなかっただろう。
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