ページ: << 1 ... 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 ... 267 >>
4月中旬:新入社員教育の第一段階が一区切り。
ビジネスマナーの教程で、
すでに第一線現場で求めるレベルに届かない”人材”が続出。
身だしなみ、発声法!ことば使い、お辞儀、読める字を書くなど、
ビジネスマナーの教程で、
今年はすでに「試用期間後の本配属困難者リスト入り者」続出。
こんな「人材候補生」を採用した、
社長・採用担当者への風当たりも、 今年は 特に強い。
「採用・人材獲得の眼鏡違い」。 このツケは大きい。
「 自分の10年先、自分がありたい姿ですら、
持たない、構想できないヒトを どうするか。 」
企業人へ戦力化の前に「考える力・生きる力の教育」が必要。
学生気分・アルバイト気分。その場しのぎ上手世代の人たちを、
・・・短い時間で、一気に気付かせるショック教育・訓練で、
生き方、意欲・希望に挑戦させる教育実行計画を実施できるか。
バブル後世代・”ゆとり世代”を「どう人材へ育成するか」で、
もう一つの企業間格差が出現する。
新聞全面広告に !?!
韓国観光公社のキャンペーン広告:
「 Korea こころ、きらめく韓国 」
【
日本のみなさんに、
韓国のおすすめの場所はどこですかと尋ねられても、
すぐに答えることはできませんでした。
でも、今は思うのです。
行き先はどこであろうと、
この国ならではの おもてなしのこころが息づく場所、
そのすべてが名所ではないかと。
巡り会う縁を大切にし、
形式よりも心づかいを重んじる。
韓国のおもてなしに、逢いにきませんか。
人を想う、
温もりがある。 韓国
】
案内人キャラクターは、
「冬のソナタ」など あのヨン様・・。
!?! よく 練られたことばづかいだなぁ・・。
「目配り」「気配り」「こころ配り」という使い分けもあるが、
「心づかい」で 決められた!気分に浸る・・。
【写真】2010.4.13.日本経済新聞 全面広告 韓国観光公社
臨済宗 妙心寺派 妙国山 興禅寺。
[ 興禅寺物語 -4- ]
「
十八代犬山城主小笠原和泉守吉次公(慶長五~十三年在城)は
当地を併領するに当り、慶長七年梶原城跡(現在地)に再興。
黒印状を下し寺門の再興を図る。
玄孫小笠原長稠、和泉守の画像を寄進。
景時夫妻の五輪塔、茂助、和泉守公位牌、
梶原屋敷跡より掘り出されし石仏、恵心僧都の來光仏等があり、
本尊は釈迦如来。
防火の守護半僧坊大権現も祀る。
」
【写真】梶原景時公夫妻供養塔
******
[ 興禅寺 寺誌沿革などから 記録として書き留め 後に備える ]
臨済宗 妙心寺派 妙国山 興禅寺。
[ 興禅寺物語 -3- ]
「
梶原一族敗亡の後、当山もまた衰微す。
文明十一年(1479)天関宗鶚禅師を招請。
妙心寺聖沢派の開祖東陽英朝禅師を勧請開山とす。
時の梶原は、岩倉城主織田伊勢守敏広に仕えし梶原玄左衛門景綱にして、景親公(豊丸君)七代の末裔なり。
梶原玄左衛門茂助景義は織田信長に仕え三千貫文の領主になるに及んで寺門大いに興隆す。
天正小牧合戦の折、兵火の為伽藍堂宇すべて灰尽に帰す。
」
【写真】興禅寺山門から。左手本堂、右手庫裡。
*****
[ 興禅寺 寺誌沿革などから記録として書き留め 後に備える ]
臨済宗 妙心寺派 妙国山 興禅寺。
[興禅寺物語 -2- ]
「 梶原平三景時公、志ありて上洛途中、駿州清見関に於て惜敗。
建仁元年(1201)乳母お隅の方(羽黒郷士長谷部佐膳の娘)、
七家臣(福富、吉野、丹羽、福住、斎木、寺澤、田山地)と共に
豊丸君(景親)を護り、
名馬磨墨を曳きいて羽黒の地に落つ。
寺記によれば、景時の孫常円、大円、空円は、
尾張三円と称せられ 当山に住す。 」
【写真】開基:梶原景時公
*****
[興禅寺誌沿革などから記録として書き留め後に備える]
<< 1 ... 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 ... 267 >>