ページ: << 1 ... 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 ... 267 >>
第377回(!) 犬山祭 が近づいてきた。
祭りを盛り立てる中核団体は 犬山祭保存会で、
その会長を長年つとめるは(この人でなければ! と人気男の)
元 犬山市長、前 衆議院議員の石田芳弘さん。
城下町の町屋に生まれ、冬来たりなば春遠からじ とばかりに、
根っからの祭り男が ことしも 先導する。
犬山城の山城に鎮座し、城下の産土神を祀る針綱神社の行粧式である「犬山祭」。 例祭は寛永12年(1635)尾張徳川家家老の犬山城主:成瀬隼人正正虎(なるせはやとのしょうまさとら)の沙汰で、氏子が行粧の車山・ねり物を出し、以来377年後の今日まで継承されてきた。
犬山祭の主役は、13輌の車山(やま)。三層の豪華な曳山(ひきやま)で巡行し、「奉納からくり人形」を披露する。
城下あげての例祭で、ツアー客ら50万人の観光客が押し寄せる。
ことしは 4月2日(土) 試楽祭。4月3日(日)本楽祭。
”この日は 桜が 脇役です”とは、犬山祭保存会のキャッチコピー。
「犬山お城まつり」で、城下は、催事が目白押し・・:4月2~3日:
・・・友好都市交流物産展。 屋台村。 骨董市。 リサイクルフリーマーケット。 茶会。 生け花展。 ぼんでん横丁。 女みこし。 どんでんまつり。 全国古城絵巻五十撰。 わん丸横丁。 犬山おも城市。 しみんてい横丁、などなど・・。
くわしくは 犬山観光協会の「犬山祭」 http://inuyama.gr.jp/festival/731 で。
3月6日 木曽川学シンポジウム。
基調講演は 小井戸由光・岐阜大学教授(地質学)。
長年 気にして来た疑問・・・
「木曽川は美濃加茂市~富加~関市~岐阜市を流れていたか」
きょう結論が出た:
木曽川は、美濃加茂市から二股で流路を取っていた。
一つは、美濃加茂市~富加~関市~岐阜市~ 。
一つは、美濃加茂市~坂祝~犬山市~ 。
ン億年前、地殻の隆起によって、各務野台地、加茂野台地が形成され、隆起の大きかった加茂野台地に遮られて、美濃加茂市~坂祝~犬山市~ の流路だけが唯一の流露となった。
木曽川本流と飛騨川を合流した木曽川の流水量は大きく、川面から200~300mもの渓谷美を造るほどに川底を掘り続けて、「日本ライン渓谷美」を形成していった。
小牧~犬山~各務原~岐阜~あたりを波打ち際とした古東海湖。
(伊勢湾が 奥深くここまで入り込んでいた)
日本ライン渓谷美を形成しながら、掘り進んだ土砂は、現・犬山城下から、犬山扇状地を造りながら、濃尾平野を造り続けた。
根尾谷活断層につながる梅原活断層の先端部に当たる木曽川日本ライン(坂祝~可児市土田)だから、
巨大な断層が引き起こした、大地の「巨大な亀裂」が日本ライン渓谷だろう、という推理は、当たらなかった。
活断層が起こす巨大亀裂か、沈降ではなかった。
美濃加茂~富加~関~の河床堆積でもなかった。
加茂野台地の大きな隆起に行く手を抑え付けられて、坂祝~犬山~を掘り進んだとは・・・・。
「木曽川岸 犬山は、全く(ドイツ)ラインの風景そのままなり」と賞賛した「志賀重昂 先生」も、よもやそこまでは知らなかっただろう。
第8回木曽川学シンポジウムが、
3月6日 フロイデホールで開催される。
楽しみにしていたシンポジウム。
ことしのテーマは「”日本ライン”の不思議」。
木曽川学研究協議会が発足して以来、第8回を迎える。
この間、ずーっと知りたかった関心事がテーマとなった。
基調講演は岩石男:地質学の小井戸由光先生(岐阜大学教授)。
軽妙な語り口調で、グイグイと引き込んでくれる・・。
ン億年前に、木曽川は飛騨川を合流させた後、美濃加茂市から加茂野~富加~関(現・津保川)へ流路を取っていたものが、河床堆積がすすんで、ある時渓谷部の坂祝~栗栖~鵜沼への現・日本ラインルートへ流路を変えた・・。
何が起きたのか? なぜ硬い岩石の山間を流路としたのか?
巨大な断層地震が引き起こしたのか?
長年、小井戸先生が「それはいつかの機会に 明らかにしましょう、乞うご期待!」とされてきたテーマ。
きょうのシンポジウムで明らかになるであろう、と期待している。
第8回木曽川学シンポジウム「日本ラインの不思議」
日時:20111.3.5.(日) 13:00~16:30
会場:犬山国際観光センター フロイデホール
弟子の子路から君子の資格について聞かれた孔子が答えたなかから、修己治人の学、つまり、上に立っ者がどうしても身につけておかねばならない学問として〃帝王学″が生まれた。
日く「 原理原則を教えてもらう師を持つこと。
直言して入れる側近を持つこと。
よき幕賓(パーソナルアドバイザー)を持つこと 」。
この〃原理原則″を見つけ、原論の筋に立ち続けることは至難である。昔は通用したが今は通用しないでは、原理原則の価値がなく、いついかなる時代にも、場所にも通用するべしと頭で分かっていても、仕事の現場で動じることなく信じて言動するには、相当な知識、見識、胆力を要する。
孔子、子路に遠く及ばないわが身なれば、せめて原理原則を見つけるため、情報、事件の発生源にできるだけ近づき、発生現場に目と耳を据えて情報を評価し判断したい。
現場で現物を確認し、位置と方位を見定めて、仕事を現実処理していくのが精々である。
地図帳と航空写真集が、お前の頭は晴れているか、三半規管は作動しているかとでも言いたげに、今日も机の傍らに鎮座している。
[この項:初出稿:1987.12.機関誌TOKAI vol-no.379]
仕事柄、人に会い、話をする機会が多い。
ビジネスの話が一段落すると、お互い の気心を探り、交誼を深めたくて時の話題、趣味、健康法へと話が弾む。
雑学を好み、浅学非才の身には、愛読書とか座右銘を問われるのが、どうにも辛い。
ところがさる日ある人から、地図と地球儀、鉄道時刻表と航空時刻表を身近に置き、時の流れと空間の広がりのなかに、多次元の組み合わせを楽しむお話を拝聴して以来、当方もいささか意を強くした。
かつて自分の時間をかなり自由に得られた若かりしころ、地図帳と時刻表を頼りに旅に出て、全国全都道府県踏破を目ざして渡り歩いた時代から、地図を眺め、かの地この地を好んで座右に置いている。
ビジネスの話であれ、人の生きざまの話であれ、話の舞台はどこどこでと、場所とか周囲の状況が欠かせない要素である。
話題の地点と方位を頭のなかに描き、ときには地図を広げて目で確かめないと気が済まない性分になったと思う。
方向感覚が鈍っていては、話の筋道も立てられないし、相手に話を聞き届けてさえもらえないだろう。
早い話が、「やってみます」「頑張ります」と言ったところで、さてどちらを向いてやればいいのか、目標や答えが分からずに、駆け出し汗を流すばかりでは、仕事にならない。
[この項:初出稿:1987.12.機関誌TOKAI vol-no.379]
<< 1 ... 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 ... 267 >>