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想定外の事態・状況を克服するシミュレーションを、
STEP by STEPで、進めるこそ、意思決定してこそリーダー。
非日常、想定外の状況で、企業の社会的ミッションをできてこそ。
経国済民、殖産興業。 企業はお客さまの幸せな世創りに貢献する。
メガバンクはいち早く、無印無帳での、小口現金支払いで対処。
ユニクロは、被災地域店舗の営業再開・衣料供給を最優先に実現していく。
ローソンはとにかく次々と営業再開していく。
クロネコ・大和運輸は、日次・時々刻々と集荷・配達区域を拡げている。
(佐川がつづき、日本郵政がやっとこさ再開の目途をたてた)
ソフトバンク、NTTドコモは競って、移動体通信の復旧区域を塗りつぶしていく。
どこも、想定外の事態・状況に陥っても、さらに克服する手立てを即断即決で、段階的に、挑戦・実現していく。
トップが想定外の事態でした、と頭を下げて済むものでもない。
安全基準を満たしていた、認可を受けていた・・などは、何の解決にもならない。
「想定外」という言葉は、封印しよう。 死語にしよう。
想定外の事態・状況を克服する、手立て・筋道を立て、挑戦・実現しよう。
技術者がいう想定外。
経営者がいう想定外。
政治屋がいう想定外。
高官・官僚がいう想定外。
官僚組織が言う想定外。
リスク管理万全を標榜するビッグビジネスが言う想定外。
想定外の場合にどういう対処をするかを、描くのが危機管理。
想定外の事態状況で、現地現場現物」:現実真実をどう直視するかが、危機管理。
想定内の事態状況で、手順どおり進めるは、無過失業務執行。
想定外というは、無過失ぶって、責任逃れの方便に過ぎない。
たぶん訴追されるであろう損害賠償請求訴訟で、無過失・不知の自己弁護の方便。
想定外の事態状況のときどうするか、を作為しなかった過失(過失罪)であり、不作為責任に問われるもの。
想定外の事態・状況を克服するシミュレーションを、
STEP by STEPで、進めるこそ、意思決定してこそリーダー。
今は飛騨市。 神岡町・割石温泉の源泉は、1976年に鉱石探査中に地下850㍍から突然湧出して以来、41℃の30㍑毎分程度であった。
地元の旧・神岡町が町立老人福祉センターとして、1979年一般にも開放して掛け流しの日帰り温泉(単純硫黄泉)として人気が高い。
岐阜大学田阪茂樹教授の研究グループの観測でわかったこと。
(出所:2011.3.20. 岐阜新聞Web版)
1983年日本海中部地震M7.7の発生直前に、一時的に源泉の湯量が増えて戻った。
2007年能登半島地震M6.9の発生で30㍑毎分から44㍑毎分にまで増えて、その後1年3ケ月かかって元の30㍑毎分程度となった。
ことし2011年2月27日の飛騨地方の地震M5.4のとき、直前27.5 ㍑毎分から、44.5㍑毎分に湯量が増え、湯温も直前40℃から2℃ほど上がって42℃に変化していた。
それが2011年3月11日14:46の三陸沖地震M9.0の2分後に、源泉の湯量・湯温が急激に変動するメカニズム。
今回は14:46の三陸沖M9.0から30分間に、宮城県沖、福島沖、房総沖の3震源域でも連鎖してM7~8の巨大地震が4個も発生し、
その間、遠く神岡の地下850㍍の源泉湯量が 増減振幅する。
湯量が急減したり、止まってしまうのは、巨大地震の直前、もしくはほぼ同時だった。
阪口教授は「地震予知の基礎研究を進めるうえで興味深い」と言われる。
北米プレートの最西端部分が、北海道から北~南アルプスまで東日本の列島の背骨を形造るように在る。
太平洋プレートが潜り込む、北米プレートの東縁で、ひずみが割れ ずり上がった巨大地震が起きるとき、北米プレートの西縁の飛騨地域で、地下水が暴れる。
地震国、火山国の日本列島の壮大なメカニズムのうえで、日本人は生きている。
国難の中、お彼岸を過ぎ、
彼岸桜が、開花し始めた。
ことしは2~3日遅れ気味。
大地震、大津波の被災・・。
大津波の破壊力を防ぎきれなかった福島第1原発。
地震には緊急計画停止を うまく作動させた福島第1原発も、
冷温停止に導く”自家発電システム”が、津波で損傷自滅・・。
これは自然の脅威を、人智で防御するに”甘く見た”結果。
国民の安全・安心の確保を、安全確保投資のソロバンが蹂躙。
たとえば東北電力女川原発は、臨海ではあるが、高台に立地させ、
今般の地震・津波にも破壊されること無く、緊急停止・再起動できている。
女川原発では、地元住民の緊急避難場所として利用されている。
福島第1原発、女川原発のあたりに、サクラ、コブシの花は咲くかなぁ。
この国は 強い。 きっと花も咲く。
この国は 強い。 きっと新しい華の世が来ると信じる。
もともと犬山祭りは、(377年前)1635年の犬山城下の大火における多くの犠牲の鎮魂の意と、町衆を励ますために、
第二代 犬山城主・成瀬正虎公が、祭礼を奨励したことに起源している。
当時は 花で飾った「お馬ん塔(オマントウ)」や「茶摘の練り物」などを出したのが始まりとか。
江戸中期には 現在の三層の車山(ヤマ)、からくり奉納をするようになり、現在の原型がほぼ出来上がったと言われている。
犬山祭り保存会の 石田芳弘会長は・・、
日本各地のお祭りの起源には「鎮魂」の意が込められております、377年目を迎える今年の犬山祭りには、より多くの方々にご参加いただき、国家を上げての震災救済活動、新たな復興の一助となれば幸いです。・・と熱い思いを込めておられる。