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園児は 裸足で 運動会         (1098)

パーマリンク 2011/10/11 07:43:43 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 小中学校の秋休み期間中。
 保育園の運動会が開かれた(羽黒子ども未来園)

 いつ見ても いいなあ。
 親御さん おじいちゃんおばあちゃんの笑顔もいい。

 ことしは裸足での運動会。
 この夏、丹精込めて天然芝を育てた。

 芝生の上で 裸足で運動会。
 いつまでも 裸足の運動会を愉しんでほしい。

産業振興祭 大賑わい     (1097)

パーマリンク 2011/10/10 21:26:13 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 10月8日(土)~9日(日)
 第8回 犬山市 産業振興祭 開催。

 「わいわい犬山フェスティバル」と銘打って開催された。
 両日とも 雲ひとつ無い秋晴れの好天。

 犬山市民文化会館、南部公民館、するすみ公園一帯は、大賑わい。
 小中学校が 秋休み中とあって、子どもたちもたくさん来場。


 時は秋。
 すぐそばの比良賀神社では 秋の大祭。

 ムラ人が、御神楽奉納の行列・曳きまわしで盛り上がる。
 各ムラから子ども獅子の参加も多く、
 五穀豊穣、村中安全、国家安泰の願う絆を確かめ合う・・。


 片や弥生の民から伝承されるムラの祭りごと。
 片や 町の衆・商業者・マチ人の お祭りごと。

比良賀神社 秋の大祭    (1096)

パーマリンク 2011/10/09 00:03:57 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー


 いよいよ 秋の大祭。
 比良賀神社 最大、最高の日。

 ことしは 10月9日 秋晴れの めでたい日。

 御神楽屋台の曳きまわし。

 神事のあと 舞の奉納。
 各町内の善男善女 打ち揃って胴回り。

 この日に備えて 神楽保存会、子ども会が 猛練習。
 さあ! めでたく奉納行列で出かけよう!!

比良賀神社 -2-         (1095)

パーマリンク 2011/10/08 01:31:57 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 おらがムラの神社・・・比良賀神社。  由緒その2.

 1200年から1203年(建仁年間・鎌倉時代)梶原景親(幼名・豊丸)が現・興禅寺に屋敷を構えて以来、代々羽黒梶原氏の居城として この地を治めていった。

 その間、社領地などを寄進されるなど、梶原氏の庇護を受けた。

 1370年代(南北朝時代)には、羽黒金屋に鋳物師集団が定着するようになると、金物の神「天目一個神(あまのめのいっこのかみ)」を祀った「比良賀天神」を建てるなど、大いに賑わったといわれている。

 しかし、1584年(天正12年・安土桃山時代)小牧長久手の戦いの前哨戦:羽黒合戦(八幡林の戦い)の戦火で、ずべてを焼失してしまった。

 1671年(寛文11年・江戸時代)に再建され、1871年(明治4年)比良賀神社と確定された。

 1913年(大正2年)に神明社と須賀神社を合祀されて、
 現在にいたっている。

比良賀神社 -1-         (1094)

パーマリンク 2011/10/07 00:36:02 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 おらがムラの神社・・・比良賀神社。
 祭神は、
 天照大神・須佐之男命・天香語山命(あめのごやまのみこと)。

 創建年代は不詳。
 言い伝えによると、河川の氾濫による田畑の被害を守るため、川沿いの6ヶ所を選んで祠を建て、天照大神・天香語山命など6柱を祀ったのが始まり。

 その後1ヶ所に集められ「六ヶ所大明神」と称し、「太一大見大明神」とも呼ばれた。
 太一とは伊勢神宮の別称である。

 1186年(文治2年・平安時代)の「尾張国神名帳」には、
 小弓の庄羽黒村 従三位 比良賀神社と記載されている。

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地域HP犬山羽黒「ブログ塾」塾生記。晴耕雨読に暮らす。 野良仕事こそ、cultivate耕やす文化(culture)という。

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