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8月15日  グラマン戦闘機はもう来ない   (1387)

パーマリンク 2015/08/15 15:33:06 著者: hatake メール
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

*
 昭和20年8月15日
 暑い日、陽射しの強い日だった。

 真っ黒な顔だが やせ細っていた親父が
 ふ~っ フゥ~と なんどもため息をついていた。

 晩飯に家族がそろったところで
 「戦争は終わった。日本は負けた」とボソリと言った。

 「もうグラマンは来ないんだね」と尋ねた。
 「そうだ・・」

*
 昭和20年の夏、(今から思えば6月23日沖縄全滅のあと)
 真っ昼間から 艦載機がひんぱんに飛んでくるようになった。

 
 風を切り裂くような音がすると感じた瞬間、
 超低空で突然姿を見せて飛び去って行くグラマン戦闘機。


 パパパパ~ンと音より先に撃ち込まれ、
 真横にかすめて飛ぶ 機銃掃射の弾。

 東隣りの御婆さんが 肩を撃ち抜かれた。
 傷口が癒えず亡くなった。

 お葬式の野辺送り。白装束の行列に
 またグラマンが現われて パパパパ~ン・・

 桑畑の中に掘った防空壕。
 転げ落ちるように逃げ込む。

 
 北側の方のお家がお昼時。
 庇を射抜いた弾がちゃぶ台の茶碗をブッ飛ばした。

*
 東側の方に半里ほど先、岩だらけの痩せた坊主山(楽田山)。

 飛行場わきの工場が引っ越してくるということで
 山のどてっ腹に大きなトンネル地下工場を造っている。


 裏の田んぼの方には 変電所(日発変電所)。

 木曽川上流部の11だか15だかの発電所の電気が
 送電線鉄塔で ここへ全部が送られてくる。

 ここから名古屋や大阪の工場へ配電している。
 ここが潰されたら 町や軍事工場に電気が届かない。

 夜になると 爆撃機が爆弾攻撃にやってくる。

 何百メートルも上の方で、照明弾が炸裂すると、
 人の顔がはっきりわかるほど 真昼のような明るさになる。

 すぐに爆弾と焼夷弾が落ちてくる。
 雷が落ちたときのように鉄塔が真っ赤に 怒髪天を衝く。

 変圧器の油が、ドラム缶が 赤黒い炎を燃え上がらせる。

 そのあとが また怖い。

 戦果を確かめに戻ってきたグラマンが
 とどめを刺すように 人影に向かってパパパパ~ン・・

 田んぼ越しに見ている者は
 伸びかけている稲より身を低くして這いつくばる。

 消火消防活動する人手も道具も無く
 なすがままに 変電所は黒焦げていく。

* 

 9月2日 アメリカの戦艦ミズリー号で全権特使重光葵外相が
 連合国と無条件降伏文書に署名して、日本は降伏した。

 平成27年 8月15日 隣り町で開かれていた展示会で
 グラマン戦闘機の写真を まじまじと見つめる。

 あの操舵席に あの戦闘員の姿を
 瞬時に飛び去ったはずの姿を
 時が止まったかのように はっきり思いだす。



 あの時、あの日から70年。
 グラマン戦闘機はもう来ない。

 二度と来てほしくない。
 二度と来させてはならない。

 かわいい孫たちに こんな時代を遺してはならない。 

(200㎞も先、熊野灘沖の航空母艦からグラマンはやってきた)
*

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