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(航空写真:左に羽黒小学校。右下に八幡林。中央左右に五条川)
「八幡林古戦場跡」「野呂塚」 :
羽黒の八幡(※「八幡林」とその周辺一帯)は、1584年 秀吉方の武将・森 長可(もりながよし:兼山城主:森 蘭丸の兄)と 家康の武将・酒井忠次らの兵が、激戦を交えた、小牧長久手の戦いの前哨戦となる、「羽黒合戦の主戦場(※八幡林の戦い)」であったところです。
今は、ヒノキ、スギの林に囲まれて羽黒八幡宮神社があります。
当時は、松林がここより北および東の一帯に広がり、五条川(※幼川)は この八幡より南側を流れていた。
この川の北側(右岸)あたりで、南方の小牧山を攻めるために、秀吉方の森長可軍が 布陣したといわれています。
徳川軍は いち早くこの動きを察知して、夜陰に紛れて森軍を包囲し、夜明けとともに奇襲をかけました。
(上:八幡林・羽黒八幡宮神社)(下:野呂塚と供養祭)
森軍は 応戦する間もなく 敗走。
この折りに奮戦して戦死した森長可の忠臣:野呂助左衛門父子を供養する供養塔が「野呂塚」で、八幡林・羽黒八幡宮神社から名鉄の線路をはさんだ東側にあります。
奮死地は、現在の東部中学校附近といわれており、いまでも地域の人たちによって毎年 供養祭が、野呂塚で 行われています。
また、新郷瀬川の架かる「合戦橋」は、この戦に由来するともいわれています。
(出典:「ぶらっと羽黒 ウオークマップ 」羽黒地区等コミュニテイ推進協議会)
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