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2010年日本女子オープンゴルフ。
宮里美香選手・二十歳が、プロツアー初優勝で制した!
3年前卒業後この国よりもアメリカツアーでプロの道を歩み始めた彼女。彼女の目線はアメリカツアーの頂点に。
単身渡米で自立の挑戦者。
沖縄の中高一貫教育の私立:興南高校の卒業生だ。
甲子園で春夏連覇を果たした島袋洋奨投手たちと同窓。
彼ら、彼女らの、あの落ち着いた、冷静で強い精神力。
13歳、15歳、17歳でどんな教育を受けていたのだろうか。
激戦の沖縄戦のあと、戦争に敗れてアメリカ統治下の沖縄。
この国からは「外国」であった昭和37(1962)年。
沖縄という小さな「南」の島を、人材の育成により「興」す。
「南を興す」という熱い思いを心に沸き立たせて、学校創立を決意した。(学校法人 興南学園の学園理念より)
沖縄県内でも有数の中高一貫教育を行なう進学校:興南高校。“南(沖縄)を興す 人材育成の学園”を標榜する。
幼少のころから異文化に接する生活環境。
軍事力経済と格差の経済・社会。 美しくも厳しい自然。
つねに我慢と執着、希望と野望の十代。
「自分の進路は自分で考え抜き、自分が決める」が当たり前の修学環境で、沖縄から世界へ自立していく精神力。
まさに「学ぶ教育」の金字塔が、またひとつ建った思い。
【写真】学校法人興南学園ホームページから。学校の正門。
古地図(復刻版)「尾張国 養老元年之図」。
1300年ほど前の絵地図を見つけた。
今の濃尾平野は、”東海湖””あゆち潟”と呼ばれて、
伊勢湾・太平洋につながった海だった。
ちょうど遠州灘と浜名湖、鹿島灘と霞ヶ浦のように。
小牧山、守山、豊山は岬の先で、白山、高蔵寺や印場、瀬戸は入り江の奥の波打ち際だった、という。
熱田、御器所、星崎、大高が岬で、古井、高針、日進折戸は入り江の岸と読みとれる。
岸辺の辺りで貝殻がたくさん見つかるということも聞かないから、おそらく汽水域か、淡水で、10~20Kmもの遠浅、湿地帯だったのだろう。
木曽川、庄内川水系、天白川水系の土砂の堆積とか、大洪水で、あるいは大地の隆起で、濃尾平野が形成された、か。
水、湿地との闘い、定住耕作への努力が、濃尾平野を豊かな大地に変えていた行った歴史が、わずか500~1000年のあいだに進んでいったとは、新しい驚きだ。
古地図(復刻版)「尾張国 養老元年之図」。
1300年ほども前の絵地図を見つけた。
木曽川は犬山・三光稲荷山を河口にして、海に注いでいる!
岐阜・井ノ口の金華山(稲葉山)から、坂祝・うとう坂までが、
伊勢湾につながる東海湖の、波打ち際であった、と読み取れる。
つまり、今の各務原市の平坦部:各務原台地も水面下に。
古地図では、帆掛け舟が、行き来しているさまに描かれる。
東島、大島、中島、平島、内島、西島、北島、佃島、・・。
今も地名に残る名前の「島」が浮かんでいるのが、見られる。
その海原の南に 中島郡一ノ宮、尾崎、下津は 大きな島だ。
枇杷島、沖ノ島、津島、長島が 点在する島で描き込まれている。
広大な濃尾平野が、わずか1300年間で、人の手で稲作、畑作ができ、定住できるほどとは、犬山や岐阜からは、数十キロ先まで、遠浅の海原だったと想像できる。
この平城京:奈良時代から、わずか1300年の間に、
急峻な木曽川の流れは、大量の土砂を運び、犬山扇状地を形成し、巨大な洪水を繰り返し、その流路を変えながら、濃尾平野を造り出してきた。
1300年間を、数倍速で早送りできる映像があったら、地球の大気の気象、大地の地質地形と、水の営みが展開する、壮大なドラマに魅了されることだろう。
犬山羽黒「小弓の庄」で、古地図を見つけた。
「尾張国 養老元年之図」(復刻版)
養老元年:西暦717年。いまから1293年前の地図。
いまの濃尾平野のど真ん中、あちこちに帆掛け舟の絵が!
一ノ宮、枇杷島、津島、長島などは”島”だった。
今の濃尾平野は、そっくり海だったのだ。
それも わずか1300年前に!
思えば7年前の木曽川学セミナーで、岐阜大学の小井戸由光教授から、「濃尾平野は”東海湖”と言われた海だった、と教わった。
地質地理学の小出先生のお話だから、東海湖は数万年前か、せいぜい数千年前の姿だろうと、思い込んでいたが・・。
大和政権、聖徳太子・憲法17条制定(西暦604年)、大化の改新(645年)、壬申の乱(678年)よりも、もっと近くて、平城京遷都(710年)のころ、濃尾平野は海だった、のだ。
薬師寺の五重塔、東大寺の大仏さんが建立された頃、濃尾平野は海だった。
【写真】「尾張国 養老元年之図」(復刻版)。養老元年:西暦717年。いまから1293年前の地図。
「10月1日 衣替えだね」「えっ ・・? 知らない」
生徒さんらに声かけたが、・・・通じなかった。
食卓に上がる食材に「旬の味」が 影が薄い。
季節にも、服装にも「旬」が無くなったらしい。
TWITTERで「今日は何の日」をNAVIしてくれるサイトをフォローさせてもらっている。(http://www.nnh.to/)
http://twitter.com/nannohi
元のデータは@matsuさん作、@nan-no-hi.bot
その10月1日に<衣替え>は出てこない。
民俗風習として衣替えはあっても、どこかの官公庁・団体が制定したものではないのだろう。
10月1日は「法の日」だと知った。
1928(昭和3)年のこの日、陪審法が制定された日で、
1960(昭和35)年に、最高裁判所、検察庁、日本弁護士連合会(日弁連)の進言により、法務省が制定した。
昨今、司法の独立性・中立性、正義の砦が注目されている・・。
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