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市と市教育委員会が主催する市民大学公開講座。
「大震災に備えて ~震災の教訓を未来へ~」
講師は あのとき現職の芦屋市建設部長の谷川三郎さん。
地域の自主防災会とかに関わっている身なれば、聞き逃せない。
とりわけ行政の現場サイドの指揮官だった方のお話し。
「直下型大地震、大津波、大洪水など地域全体が甚大な被害を受けた時には、市役所も、県も、国も 行政の誰もが救助救命に駆けつけてやってくれることは、全く期待できない」
「先ずわが身ひとりを守る。わが身が無事に抜け出せるか。わが家族が身を守れるか、が最優先となる」
「たとえ親子、兄弟、家族のひとりを助け出すにも、家族だけの手足だけでは、目の前の家族すらも助け出せない事態に陥る」
「隣り同士、ご近所町内地域で呼びかけ合い、助け合うことが最大の救急救助の第一歩、第二歩、第三歩となっていくのだ」
芦屋市人口8万7千人で亡くなった方は450名。
市役所建設部・消防署など職員と消防団員が納めさせてもらった犠牲者は65人。大半は地域の住民たちが自らの助け合いの中から救命救急活動をして、なおかつ助けきれなかった方々が大半であった。
これが激甚被災の実態となったことは、語り部として伝え続けなければならない現実である、と。
「自分の身は自分で守る」
(逃げ道は自分で見つける)
(逃げ道は知っている。覚えている)
幼いときから親が子どもに身につけさせるべき第一歩であり、学校や役所がやってくれる事柄ではない、のだ。
・・・・「わが町の防災マップ」
行政が各家庭に一部づつ配布して足れりとする意識とやりくちのなんと空虚なことか・・。
きょうから お盆。
一般的に 平均的に お盆の始まりの日。
高速道路はきのうから渋滞個所があちこちに・・。
きょうの昼過ぎになっても さらに細かく あちこちに。
働き蜂のニッポン人には、
お盆休業期間こそ 子どもと一緒に休める日々なのだ・・。
テレビ愛知局の番組「カンブリア宮殿SP」を観た。
”今こそ祭りのチカラ!”
”逆境で生き抜く方法論として、
東北の祭りには強さがある”
そして、南相馬市の桜井市長は、
ズバリ、明言した。
「今欲しいものは、権限とおカネです」
3.11.以降、選挙権者が失望と後悔の念に苦しむもの:
霞が関の身内言葉と言いまわしの「霞が関文学」
選民と言いながら任期まで言い繕う「永田町の論理」
現地現場現実と日夜向き合う、首長のことばは明解だ・・:
「1000年の間に起こったことが無い災難が起こったのです」
(明治維新・官僚国家論理よりも、敗戦復興・国防委託の論理よりも、今この国が自助互助扶助公助で自立するのに、いちばん即断即決すべきは・・: )
「瞬時に 権限とおカネを 現場に落とすのが、今 一番 必要なこと」です!! (by 桜井・南相馬市長)
「小弓の庄」。犬山羽黒 まちづくり活動拠点施設。
8月10日から 8月28日まで
~ 折々の感動を 短歌や俳句で・・ ~
「 俳句・短歌 色紙展 」を開催中。
羽黒婦人会 文芸部「するすみ」グループと、
市内近郷の同好の会「千艸会(ちくさかい)」の皆さんの合同作品展となっている。
山紫水明、米の美味しい羽黒、犬山の里山・里地の中で、
老若ともども仲良くご婦人の会が、ことばに表わす作品。
築百余年の旧・加茂郡銀行羽黒支店の歴史的建物を復原した「小弓の庄」のロビー展示。
小弓の庄企画運営委員会が自主事業として開催中。
南部公民館 ロビーで、「平和祈念パネル展」開催中。
時まさに8月9日ナガサキ原爆の日。
象徴的な一枚のパネル・・:(撮影・山端庸介)
「1945年8月9日 長崎 爆心地附近で、
一瞬にして恢塵と化した街の中で、
一瞬にして召された子どもの姿。
1995年11月7日 国際司法裁判所における、
伊藤一長・長崎市長は こう証言を語り始めた・・:
「見てください!
この子どもたちに何の罪があるのでしょうか・・。
すべての核保有国の指導者は、
この写真を見るべきであります。
核兵器のもたらす現実を直視すべきであります。
そして、あの日、この子らの前で起きたことを、
知って欲しいのです。
この子らの 無言の叫びを感じてほしいのです。」