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「 創業守成 」。
いろいろ 考えてしまう「ことば」がある。
多言を要しない。
「創業守成」の現場にはじめて直面したのは、
30年ほど前。
Y、M、D、A、A2、・・・・
そして今、Y2、S社。
時流は 変転する。 読めるか、読めたか。
潮目が 変わる。 見えるか、見たか。
越えるか。 超えたか。
次を 描いたか。描けたか。
「 新しく事業を始めること。 それを守って維持していくこと。 」
(創業は難きを以って易く、守成は易きを以って難き)
< 呉克克「貞観政要」論君道 >Cf.「創業守分」
夏の花「ムクゲ(木槿)」が咲き競う時季到来。
根が横に広がらないのに、狭い場所でも 痩せ地でも 芽を吹き 小枝をたくさん出す。
きつく剪定されても よく耐える。
7月から10月まで 長い間、花をつける。
種類が多い。紫、赤、八重のものもある。
身近には 一重五弁の白花か、日の丸もの。
韓国の友人が来て 庭先で見つけたとき、
「韓国の国花だよ。日本のサクラと同じように」。
「民族の誇りという声もあるけれど・・」と聞いた。
花を、枝を切り取られても、次の花がまた開く。
かっての軍服の金ボタンを サクラとみるか、ムクゲと見立てるかは違うけれど、
日韓併合38年間は、同じ金ボタンを付けてました、とも。
大阪の 百済渡来の人・王仁の墓史跡では、日韓友好の花と紹介される。
朝早くに開き、夕方にはしぼむ。
** それがしも その日暮らしど 花むくげ ・・小林 一茶 **
♪ 高い 山から (ヨーイ)
谷底 見れば (ヨナーセーエ)
ウリや ナスビの 花盛り (ヨイショ ヨイショ)
(ヨイショ ヨイショ) (ヨイショ ヨイショ)
真夏 八月。 「石上げ祭り」が近づいてきた。
尾張富士 大宮浅間神社 最大級のお祭り。
なつかしい記録写真が いくつか 出てきた。
地元、近郷の各集落が 競って献石を奉納した。
カンカン照りに日焼けがきつかったこと。
石上げ祭りの道行き、石吊り唄の音頭執りに声がつぶれたこと。
(伊勢神宮・遷宮・木遣り節に 似ている)
リンギ(担ぐ丸棒)に 赤剥けた肩の痛みを 想い出す。
♪ ドンドッテ 巻き上げようぜ (セーエノーエ)
エンヤコリャ セイノーエ (エンヤ)(トット)
(エンヤ)(トット) (エンヤ)(トット)
【写真上】昭和4年撮影:石上げ祭り。羽黒・八幡町。町内を練り歩いて披露してから出発する。十六テン(前後合わせて十六人で担ぐ)。
【写真中】昭和30年ごろ撮影:石上げ祭り。羽黒・新郷瀬川・富士橋附近。一の鳥居を過ぎたあたり。登り口まで あと2キロ㍍。夜明けから日暮れまで 200余組の奉納隊が続いた。
【写真下】昭和30年ごろ撮影:石上げ祭り。羽黒・安戸組。尾張富士大宮浅間神社社務所前附近。十六テン(前後合わせて十六人で担ぐ)。
【写真下-2】犬山・羽黒にて。五条川のサクラ並木と 尾張富士。石上げ祭りは 山頂へ献石を担ぎ上げる、勇壮な、真夏の祭り。
朝から木曾川べりの 道を通った。
中国桂林には及ばないが、いつもの川なのに
いつも 新鮮!
志賀重昂先生。 「日本ライン」とは言い得て妙。
犬山城、伊木城、鵜沼城。うしろには猿ばみ城。
尾張、美濃の両国が 向き合っていた。
450年。時が流れた。
犬山城。 いつもの城なのに、
いつも すました風情。
里山の、生き物や風景を撮っている写真家の今森光彦さん。
琵琶湖を望む里山・田園風景の中にアトリエを構え、
自然と人の関わり合いを追い続け、世に問い続ける。
たくさんの著作、写真集、発表作品がある。
この本もその一冊。
あれこれと講釈を垂れることなく、
ただ ただ とっくりと眺めつづける。
やわらかい 人肌を感じてしまう 文。
「 季節は、ゆっくりとめぐってゆきます。
四季の風景が、こんなに美しいのは、
きっと、人と一緒に
たくさんの生き物が暮らしているからに違いありません。
ぼくは、そんな田んぼや雑木林が、
いつまでも残ってほしいと願っています。
生き物とのつながりを身近に感じることができる里山。
それは、
一番大切にすべき、自然からのおくりものだと思います。 」
(本文39pより)
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