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冬至を 越えた。
ことしも 紅白歌合戦と 除夜の鐘が・・
梶原景時公顕彰会では、
興禅寺で、
「除夜の鐘つき」を 催す。
協力:羽黒げんき(羽黒まちづくり活性化検討委員会)
あと10日でお正月という日。
大型ホームセンターへ。
店舗正面エントランス前屋外売り場は、歳末の買い物客で大賑わい。「やさい村」なる野菜特売市の店頭販売コーナーも”産地直売・安い!!”
山積みされた正月用品に もっとびっくり。
お手軽に飾り付けられる門松、しめ縄セットが いっぱい。
あと数日でクリスマスという時期だが、
クリスマスの飾り付けグッズは、ことしも販促グッズからはずされている。
2年前麻生政権時代に、急遽自粛政策がすすめられた。
(確か、青少年健全育成のため、クリスマスをシーズンマーケティングの広告宣伝・販促を意図的にはやらない、と”政治主導された”という)
本音はリーマンショックで派遣切り、求人倍率落ち込みで、商魂丸出し商戦との葛藤であった、か。
クリスマスイヴを淋しく部屋へ引き籠もる若者が、ひきこもりニートに進まないように、との配慮と、大合唱が年末商戦を抑え込んだ構図となった。
稲作文化、里山文化を讃える迎春グッズは、復権し、ことしも山積みで活気を取り戻した感。
”健康の駅”「さら さくら」(:市民健康館)に、
「健康づくり 8ヵ条」が 掲げられている。
『
一、ちょこっと歩こう・運動しよう
一、禁煙・適度な飲酒に 心がけよう
一、よくかんで食べて、しっかり歯磨きしよう
一、三食 きちんと 食べよう
一、一人で悩まず、誰かと 話しをしよう
一、定期的に体重や血圧を測ろう
一、お互いに あいさつを しよう
一、自分の地域に 関心を持とう
』
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煩悩三欲に好奇心 の喪失 は 即ち、セミの殻、産卵後の鮭。
「ときめく、たかぶる、ふるいたつ」こそ、若さの源。
(上:五条川樋門碑)(下:五条川上流部から新郷瀬川の桜海道富士橋方面を見る・左へ五条川が分流する。左手 林の中に碑がある)
「 五条川樋門 」 :
1886年(明治19年)に、郷瀬川が木曽川(※犬山城の下で)へ流れるようになり、1933年(唱和8年)から入鹿池からの洪水対策の放水路として、郷瀬川に通ずる新郷瀬川の新設工事が始まり、1944年(昭和19年)に完成しました。
この折り、五条川との分岐点には 樋門が設けられました。
五条川の名の由来はいくつか説があり、
清州城下にかかる「御城橋」の御城から転化したという説、あるいは、
5河川(幼川、矢戸川、境川、巾下川、青木川)を集めて流れるため、五条という名称を付けたという説、更には、
古代土地制度の条理制で、五条を通っていたからとの説などがあります。
また、今は上流まで五条川と呼んでいますが、
かって「五条川」と呼ぶ地域は、新川合流点から現在の岩倉市五日市場の青木川合流点までで、そこから岩倉市大山寺までを「生田川」、本町を含む上流域は「幼川(おさながわ)」、雅川、瀬川などと呼ばれていました。
犬山羽黒の名鉄小牧線の鉄橋には「幼川鉄橋」と書かれており、往時の名残りをみることができます。
(五条川と新郷瀬川との分流部。いわゆる”大分かれの樋門”)
(出典:「ぶらっと羽黒 ウオークマップ 」羽黒地区等コミュニテイ推進協議会)
( 1952年撮影:堀田橋 ↓ )
「 五条川 」:
五条川は、岐阜県多治見市の高社山附近に源を発し、愛知県犬山市 八層山の南を流れ、郷川と成沢川とともに、入鹿池に水を満たした後、新郷瀬川と分かれて、清州市で新川と合流するまでの全長約43kmの川です。
一級河川としての五条川管理区間は、新郷瀬川との分流点五条川分流樋門を、最上流として、ここから新川との合流点までの延長28.2kmとなっています。
(五条川小弓橋附近)(1955年撮影:羽黒小学校のプールだった↓)
五条川の堤防には、1953年 五条川の本格的な堤防改修工事の完成に合わせて約4200本余りの桜(ソメイヨシノ)が植えられ、その長さは日本屈指の桜並木となっており、この堤防を利用した「尾北自然歩道」の一部にもなっています。
3月下旬、桜の開花時期に合わせて、県道羽黒橋から名鉄小牧線鉄橋までの間で、夜桜ライトアップをしています。
(出典:「ぶらっと羽黒 ウオークマップ 」羽黒地区等コミュニテイ推進協議会)
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