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インスタントラーメン(即席ラーメン)が日本で誕生してから50年になる。
日清食品の創業者:安藤百福さんがまだ「サンシー殖産」当時のこと。
家族が天ぷらを調理しているのを見て、その天ぷらを口にした食感からひらめいた。
ゆでた中華そば麺を「油の熱で乾かす」瞬間油熱乾燥法。
「nissin即席チキンラーメン」は1958年(昭和33年)8月25日に新発売。
いつでも、どこでも、だれでも、お湯さえ注げば出来上がり。
またたくまに「おいしい」「簡単」「便利」と、消費者の支持を集めた。
昭和の文化遺産といわれる岩波書店の「広辞苑」の1950年(昭和30年)版では、「ラーメン【老麺】(中国語laomien)中国風の麺料理。支那そば。中華そば。」とある。
他社の辞典では、ラーメン中国語【垃麺lamian】中華そばの一種とか、
また、ラーメン中国語【老麺ラオメン】中国風麺。料理の一つ。中華そば。・・とかになる。
1958年(昭和33年)といえば「一万円札」が登場した年で、大卒者初任給13,467円、国鉄初乗り10円、お風呂屋入浴料16円の時代。
一袋85g入り「35円」の「nissin即席チキンラーメン」は、“爆発的な”売れ行きとなった。
チキンラーメンは「支那そば」「中華そば」「老麺」「垃麺」に代わって、「ラーメン」という呼び名で広まって今日に到っている。
インスタントラーメンは、たぶん日本人初の発明だろう。
ニッポン発の文明・文化のひとつだと思う。
日高の昆布、ひじき、ジャコ、身欠きニシンとも違う。
干しぶどう、干し柿、干し大根とも違う。
梅干し、なれ寿司とも違う。
もうひと手間かけるとすぐ食べられる状態になる。
とき、ところを選ばずの携行食品で、
千年来の乾飯(kare-i-i 握り飯)の知恵、文化を超える。
10代の終わりごろ、素人の無謀登山だが、
飛騨乗越から槍ヶ岳を目指した。
ビバークし 雷鳴土砂降りの中でかじった、
あの日の チキンラーメンが忘れられない。
マグロの缶詰、するめ、キャラメルより、チキンラーメンだった。
半世紀経っても、一杯のチキンラーメンは おいしい。
日清食品の製造開発で、瞬間油熱乾燥法の「技あり!」。
熱湯のひと手間で、いま世界のすみずみで、愛され食される。
ヒトの生きざまの本源に合う「ものつくりニッポン」の本質なのだ。
カエデ もみじの種類は 数多い。
好きなカエデ類は 野村もみじとヤマモミジと 枝垂れのもみじ。
枝垂れのもみじの株が あちこちにある。
愛嬌もののタヌキの顔を覗き込んでいる枝垂れのもみじ。
毎年顔が隠れてしまうと、タヌキが煙たがっている。
ことしもしっかりと芽吹いてきた。
水甕の上に覆いかぶさるのも、枝垂れのもみじ。
こちらは毎朝、毎晩、お出かけお帰りをしてくれるもみじ。
夏の暑さをくぐりぬけ、寒さに葉を離したアジサイ。
その茎は まるで枯れ木のごとく水気を無くしていた。
椿が咲き、サクラの花がもてはやされるこのごろ、
アジサイは大地からいのちの水を得て、
しっかりと芽吹いてきた。
五条川のサクラ並木。
ソメイヨシノの満開!と叫んだばかりなのに、
もう散り始め、ひと風吹けば、花吹雪。
水量の少ない川面に、びっしりと花じゅうたん、花いかだ。
行く春を惜しむ・・・、というよりも、
花のいのちの短さがせつない。
昼も夜も絶え間なく 流れてくる。
桜の木の多さ、サクラの力強さを改めて思い知る。
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