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里山の、生き物や風景を撮っている写真家の今森光彦さん。
琵琶湖を望む里山・田園風景の中にアトリエを構え、
自然と人の関わり合いを追い続け、世に問い続ける。
たくさんの著作、写真集、発表作品がある。
この本もその一冊。
あれこれと講釈を垂れることなく、
ただ ただ とっくりと眺めつづける。
やわらかい 人肌を感じてしまう 文。
「 季節は、ゆっくりとめぐってゆきます。
四季の風景が、こんなに美しいのは、
きっと、人と一緒に
たくさんの生き物が暮らしているからに違いありません。
ぼくは、そんな田んぼや雑木林が、
いつまでも残ってほしいと願っています。
生き物とのつながりを身近に感じることができる里山。
それは、
一番大切にすべき、自然からのおくりものだと思います。 」
(本文39pより)
田んぼの あぜ道には、“あざみ”の花が よく似合う。
踏まれても、刈り取られて(刈り払い機で)も また出現する。
「おふくろを想い出す花」という先輩が居た・・。
菜の花、ちょうちょ、れんげ、たんぽぽ・・・の季節が過ぎると、
主役は、どじょう、かえる、「あざみ」。
梅雨の晴れ間に 映える「花」。
日本原産の花。 花言葉は「私をもっと知ってください」。
秋になると、綿毛に包まれた種の中に、虫がいて、
この虫を餌にすると、シラハエ(赤みの川魚)がよく釣れた。
八百津町 久田見 「白鬚神社」。
山ノ神として、川の恵みの神として、
「白髭神社」が木曾川流域に拡がる。
海ノ神ではないのか、木曾川中流域には 数十ヶ所所在する。
「久田見まつり」「山車 からくり奉納の祭り」で名高い。
これより木曾川上流部に、白鬚神社は見られないという。
八百津町久田見の 丘陵地。
50年前の伊勢湾台風にも耐え抜いたスギの巨木。
南面は水田で開けた位置なのに。
推定樹齢300年。 重厚0㍍。 胸高 胴回り 6.8㍍。
崇高な雰囲気。不思議と こころ鎮まる境内に 風もやわらかい。
あじさい。 紫陽花。 アジサイ。
初夏から梅雨時、里の花。
「あじさい街道」、「あじさい寺」、「あじさい庭園」・・。
色の違いもいろいろ。 品種もいろいろ。
案内銘板もいろいろ。
「梅雨を象徴する美しい花です。」
文部省唱歌「ふるさと」・・
「 うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川 」
「うさぎ追いし かの山」は 荒れ放題。
「粗大ゴミの不法投棄は 罰せられます。営林署」。
赤錆が浮く 看板。
「下草刈り、間伐育林施業の見返りに、地域住民に山菜採り、落ち葉有機肥料の採取を勧め、山の幸・山の恵みを分け合う循環。人の暮らしが環境と共存・共生する循環」。
この好循環を遮断した「農政・林政の悪循環」。
荒れ放題の里山は、環境修復に50年、100年を要しよう。
次の世代に負担を先送りした為政者は、ナンとか補助金を支給するから「票を呉れ」かよ!
国民病:スギ・ヒノキ花粉症で、
医療機関・製薬会社・衛生材料会社が100年間は儲かる保証書をもらった。
「こぶな釣りし かの川」の「田んぼ」は 土色に砂漠化。
菜の花畑、れんげ畑は 観光バスで探しに行かなければ 見られない。
冬には農業用水路・河川は 生活汚水のどぶ川。
「よいこは ここで遊ばない。建設省」。
経済コスト優先の工法は、子どもの遊び場・情操教育の原点を奪い、
近隣住民の自主的補修・維持管理意欲を阻んでいる。
土ほこりの冬の田んぼは、えさもなければ、渡り鳥も降りてこない。
緑の国が、砂漠の色。
道祖神に代わった「整地碑」に、木枯らしが砂塵を舞い上げる。
ふるさとの特産品「どじょう」は、浜辺の特産品「いわし」と並んで、「高級魚」。
文部省唱歌「ふるさと」を、為政者は、
・・文部省唱歌「月の砂漠」に替え歌つくりした。
この国は なにかがおかしい。
この国の人たちは 50年先すらも 見ていない、のか・・・??
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