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宮里美香選手が快挙(興南高校万歳)

パーマリンク 2010/10/05 01:55:31 著者: モリゾー
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 2010年日本女子オープンゴルフ。
 宮里美香選手・二十歳が、プロツアー初優勝で制した!

 3年前卒業後この国よりもアメリカツアーでプロの道を歩み始めた彼女。彼女の目線はアメリカツアーの頂点に。
 単身渡米で自立の挑戦者。 

 沖縄の中高一貫教育の私立:興南高校の卒業生だ。
 甲子園で春夏連覇を果たした島袋洋奨投手たちと同窓。

 彼ら、彼女らの、あの落ち着いた、冷静で強い精神力。
 13歳、15歳、17歳でどんな教育を受けていたのだろうか。

 激戦の沖縄戦のあと、戦争に敗れてアメリカ統治下の沖縄。
 この国からは「外国」であった昭和37(1962)年。

 沖縄という小さな「南」の島を、人材の育成により「興」す。
 「南を興す」という熱い思いを心に沸き立たせて、学校創立を決意した。(学校法人 興南学園の学園理念より)

 沖縄県内でも有数の中高一貫教育を行なう進学校:興南高校。“南(沖縄)を興す 人材育成の学園”を標榜する。

 幼少のころから異文化に接する生活環境。
 軍事力経済と格差の経済・社会。 美しくも厳しい自然。
 つねに我慢と執着、希望と野望の十代。

 「自分の進路は自分で考え抜き、自分が決める」が当たり前の修学環境で、沖縄から世界へ自立していく精神力。

 まさに「学ぶ教育」の金字塔が、またひとつ建った思い。

【写真】学校法人興南学園ホームページから。学校の正門。

1300年前、高蔵寺・瀬戸は入り江だった

パーマリンク 2010/10/04 22:48:48 著者: モリゾー
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 古地図(復刻版)「尾張国 養老元年之図」。
 1300年ほど前の絵地図を見つけた。

 今の濃尾平野は、”東海湖””あゆち潟”と呼ばれて、
 伊勢湾・太平洋につながった海だった。
 ちょうど遠州灘と浜名湖、鹿島灘と霞ヶ浦のように。


 小牧山、守山、豊山は岬の先で、白山、高蔵寺や印場、瀬戸は入り江の奥の波打ち際だった、という。

 熱田、御器所、星崎、大高が岬で、古井、高針、日進折戸は入り江の岸と読みとれる。

 岸辺の辺りで貝殻がたくさん見つかるということも聞かないから、おそらく汽水域か、淡水で、10~20Kmもの遠浅、湿地帯だったのだろう。

 木曽川、庄内川水系、天白川水系の土砂の堆積とか、大洪水で、あるいは大地の隆起で、濃尾平野が形成された、か。

 水、湿地との闘い、定住耕作への努力が、濃尾平野を豊かな大地に変えていた行った歴史が、わずか500~1000年のあいだに進んでいったとは、新しい驚きだ。

1300年前、犬山城下まで海だった

パーマリンク 2010/10/03 23:47:41 著者: モリゾー
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 古地図(復刻版)「尾張国 養老元年之図」。
 1300年ほども前の絵地図を見つけた。

 木曽川は犬山・三光稲荷山を河口にして、海に注いでいる!
 岐阜・井ノ口の金華山(稲葉山)から、坂祝・うとう坂までが、
 伊勢湾につながる東海湖の、波打ち際であった、と読み取れる。

 つまり、今の各務原市の平坦部:各務原台地も水面下に。
 古地図では、帆掛け舟が、行き来しているさまに描かれる。

 東島、大島、中島、平島、内島、西島、北島、佃島、・・。
 今も地名に残る名前の「島」が浮かんでいるのが、見られる。

 その海原の南に 中島郡一ノ宮、尾崎、下津は 大きな島だ。
 枇杷島、沖ノ島、津島、長島が 点在する島で描き込まれている。

 広大な濃尾平野が、わずか1300年間で、人の手で稲作、畑作ができ、定住できるほどとは、犬山や岐阜からは、数十キロ先まで、遠浅の海原だったと想像できる。


 この平城京:奈良時代から、わずか1300年の間に、
 急峻な木曽川の流れは、大量の土砂を運び、犬山扇状地を形成し、巨大な洪水を繰り返し、その流路を変えながら、濃尾平野を造り出してきた。

 1300年間を、数倍速で早送りできる映像があったら、地球の大気の気象、大地の地質地形と、水の営みが展開する、壮大なドラマに魅了されることだろう。

1300年前、濃尾平野は海だった

パーマリンク 2010/10/02 23:44:52 著者: モリゾー
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 犬山羽黒「小弓の庄」で、古地図を見つけた。
 「尾張国 養老元年之図」(復刻版)
 養老元年:西暦717年。いまから1293年前の地図。

 いまの濃尾平野のど真ん中、あちこちに帆掛け舟の絵が!
 一ノ宮、枇杷島、津島、長島などは”島”だった。

 今の濃尾平野は、そっくり海だったのだ。
 それも わずか1300年前に!

 思えば7年前の木曽川学セミナーで、岐阜大学の小井戸由光教授から、「濃尾平野は”東海湖”と言われた海だった、と教わった。
 地質地理学の小出先生のお話だから、東海湖は数万年前か、せいぜい数千年前の姿だろうと、思い込んでいたが・・。

 大和政権、聖徳太子・憲法17条制定(西暦604年)、大化の改新(645年)、壬申の乱(678年)よりも、もっと近くて、平城京遷都(710年)のころ、濃尾平野は海だった、のだ。

 薬師寺の五重塔、東大寺の大仏さんが建立された頃、濃尾平野は海だった。

【写真】「尾張国 養老元年之図」(復刻版)。養老元年:西暦717年。いまから1293年前の地図。

10月1日 衣替え、「法の日」

パーマリンク 2010/10/01 00:38:35 著者: モリゾー
カテゴリ: 畑仕事はカルチャー

 「10月1日 衣替えだね」「えっ ・・? 知らない」
 生徒さんらに声かけたが、・・・通じなかった。

 食卓に上がる食材に「旬の味」が 影が薄い。
 季節にも、服装にも「旬」が無くなったらしい。


 TWITTERで「今日は何の日」をNAVIしてくれるサイトをフォローさせてもらっている。(http://www.nnh.to/)
 http://twitter.com/nannohi  元のデータは@matsuさん作、@nan-no-hi.bot

 その10月1日に<衣替え>は出てこない。
 民俗風習として衣替えはあっても、どこかの官公庁・団体が制定したものではないのだろう。


 10月1日は「法の日」だと知った。
 1928(昭和3)年のこの日、陪審法が制定された日で、
 1960(昭和35)年に、最高裁判所、検察庁、日本弁護士連合会(日弁連)の進言により、法務省が制定した。

 昨今、司法の独立性・中立性、正義の砦が注目されている・・。

【写真】 「今日は何の日?」(nannnohi)on Twitter

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