11『書道を通じて元気を!』

今、旬の女性書道家 野澤芳穂(ほうすい)
(野澤晴子)
小学校の長女と一緒に通って、習い始めたのが、書道との出合いでした。
結婚して間もなく中耳炎の手術をした。顔にしびれが
残るという後遺症が残り、できるだけ外出を控え、家で
できる書道にのめりこんでいった。

最初は中国の呉昌顕と王鐸の行書を学び、つづいて
六朝の楷書を書くようになった。
昭和49年、中日展に初出品、初入選。「跳び上がるほどうれしかった。」

それ以来、中日展、毎日展、読売展、日本の女流展、謙慎展などにつぎつぎと入選し、実力を発揮される。

書道に出合い10年たったころ、師から開塾をすすめられた。

初入選以来、中日展(二科賞、特選、準大賞)、毎日展、読売展(特選)、日本の女流展(中日新聞社賞)、謙慎展(秀逸、謙慎賞)など毎年つぎつぎと賞をいただくことになった。

中日展は無鑑査から委嘱へ、二科審査員へ。読売展は会友から評議員へ。日本の女流展も中堅へ、と周囲の期待も高まっている。

3人の子育てに加え、64才で倒れた義母の介護(14年間)に明け暮れる中で書道塾の先生と、活動的に走り回ってきた。

子どもたちも独立し、いまは夫との静かな生活に戻った。

書のほうは、教室2ヶ所で10代から60代の人たちに、相変わらず教えている。趣味の日本画は素人離れの腕前。このほか陶芸、ガーデニング、パソコン、食べ歩き、と好奇心も旺盛で、「美」へのこだわりは強い。
野澤芳穂の書
毎日を元気に楽しんですごしておられる。
自分の病気のこと、義母の介護の長い苦労は、いまは全然感じられない。

彼女が居ると、周囲は笑いが絶えない華やかな存在。

自分の専門の領域である書は「力強い線を出すように心がけて」
けいこに励み、複数の趣味(楽しみ)は幅広い視野を保つため、
長くつづけられたら・・と語られた。