?6『おかみさんは家業の守り手』

今、旬の女性八郎鮨 今尾ハツ子
東京・浅草の天ぷら屋で育った。
年ごろになったころ、名古屋のゴルフ場で知り合った男性が、寿司職人でした。
スポーツが好きという共通の話題がある。家業と同じ食べもの商売やったら食べることに不自由しない、本音もあって嫁入りを決めたという。
八郎鮨 昭和54年、岐南町に、小さな寿司店を持った。
従業員を含め4〜5人で営業する、小さな店だ。
カウンターのタネケースには、いろいろな魚が並び、四季の移り変わりが楽しい。
旬の食材にこだわり、主人の寿司職人の味と技の調和を大切に、腕をふるったおかげで、幸い、良いお客様に恵まれ、順調でした。
八郎鮨5〜6年ほど経ったころ、もう少し大きい店をと考えた。
ご主人は板前に専念し、おかみさんは経営を、と夫婦の役割分担がはっきりしている。
店を造る相談は、夫よりも先に、会計士や銀行に相談し、どんどん進めていった。
このころはすでに妻の実力を信頼されていたから、できたことでしょう。
でも、ご主人のほうが一枚上手のように感じた。



昭和60年、近くの岐阜市石長町名岐バイパス沿いに三階建ての「八郎鮨」は開店した。
店の特徴は、旬のネタの新鮮さはもとより、その旨味を引き立たせる仕込みと器(うつわ)にある。
彩り豊かな料理を楽しんでいただけるように、と工夫している。
八郎鮨有限会社八郎鮨の取締役兼おかみさんは、「接客業はむつかしいもの」と言われる。
時代の移り変わりに、敏感でなければならない。
従業員の人間関係や営業方針にも気を配らねばならない。
おかみ稼業は、心配りが繊細でないと、つとまらない。
一方で、一生懸命やれば、お客様は、必ず応えていただける。
また、若い従業員がどんどん成長していくのを見ることは楽しいことだ。
今尾ハツ子さんとご主人おかみさんのもうひとつの仕事は、岐阜県中小企業家同友会の女性部会の会長さん。この会は、女性で経営にたずさわる人たちの集まりである。
おかみさんは、経営の話しになると、目がきらきらと輝やき、話しがはずむ。
控え目ななかにユーモアを織りこんだ会話は、部会のメンバーからとても信頼されている、とか。
彼女の人徳である。
毎日が多忙である。
いまのところ、楽しみは夫と一緒に、器を探しにあちこち見て歩いたり、
絵を描いたりすること。
いまはむかし、本当は、ちいさな店でおいしい家庭料理を作って、お客様に喜んでもらえる、小さなちいさなお店を開くのが夢でした。

おかみさんが輝やいて存在している限り、八郎鮨は飛躍がつづいていくでしょう。

紹介者:C/T