bT『ゆったりと暮らす介護サービスを!』

今、旬の女性グループホームらく
アフターケアハウスらく代表一楽直子
徳島に生まれた。両親のすすめで高校は岐阜県の全寮制の学校でした。
勉強もしつけも非常に厳しかった。大学は徳島に帰り、管理栄養士の資格をとった。
親は女の子の就職を認めなかった。父親は家業も順調であり、公職もありで、とにかく「家」から離れたかった。そんな時、高校の同級生との結婚話があり、名古屋で生活することになった。
一楽直子さん 子どもも授かったが、とにかく仕事がしたくて保母の資格もとった。小さな部屋を借りて、託児所を始めた。そのころから働きたい主婦がどんどん出てきた社会環境の変化に伴ない、託児所は盛況でした。
15年ほど経ったころ、思いがけない事故で夫が亡くなる。託児所も閉じることにした。
持ち前の明るい性格と4人の息子たちのおかげで哀しみもいつか乗り越えることができた。
いつかは老人の生き方に関する仕事をしたいという夢をいだきつつ生活(くらし)ていた。人生を時計でいえば午後2時ごろ。まだまだ日が沈むには間がある。ここでもうひと働きしようと思った。
幸い三男が老人福祉に関心があり手伝ってくれるという。
介護保険指定事業者として平成12年「アフターケアハウスらく」を立ち上げることができた。
むかしから馴染んだ生活様式に近い普通の民家を借りた。これは多くのお年寄りにとってより快適で安心できるもの。
アフターケアハウスの利用者は、ひとり暮らしか、家族がいても家族が仕事にでかけ、日中はひとりという人がほとんどだ。ケアハウスから帰宅後のひとりの生活が危なっかしい場面に出遭うなどそのありさまにこころを痛めた。

ケアハウスをやってみてできればもうひとり増やすというように少しづつ自信をつけて、14年9月に「グループホームらく」を立ち上げて、これもあわせてやることになった。
グループホームらくケアハウスをやってみてできればもうひとり増やすというように少しづつ自信をつけて、14年9月に「グループホームらく」を立ち上げて、これもあわせてやることになった。
めざしているのは小人数、家族的でゆったりとした自由なくらし。仲間と楽しく助け合い、笑いのある暮らし。
さまざまな生き方をしてきた人たちだから、その個性を尊重しつつ介護の手伝いをできたら良い、ということでお手伝いしている。大きな苦労はまだない。

日々のケアで大切に思っていて実行していること・・・。
○個人を尊重し得意な分野を伸ばして自分自身の存在感を与えてあげるように、自信をもてるようにしている。
○常に自然に親しみ、季節感を失わないように外へ行く機会を多く持ち、刺激を受ける。
○ 地域行事への参加。地域のかたの畑を借りて、地域のかたと一緒に自然を楽しむ。

以上のように生活しているが、家族のかたや職員が「○○さんはここへきてからよく笑うようになったわね」とか、「仲間同士で会話ができる」などと、良い方向に向いてきた話を聞くのが一番うれしい。いま一番やりがいを感ずる時です。

両親は徳島で元気に生活している。平凡な言い方だけど、親から離れて生活してみて、やっと親心がわかるようになった。いまこうして少しでも社会に役立つことができるのは、自分の親が人生の最初に学びを与えてくれたから。生涯で最大の学びを与えてくれた存在であったと気がついたからだと思う。

「子どもでも老人でもひととの生き生きとした交流を見つめることが私の好きなことであり、生きがいでしょうか」とも語られる。

紹介者:C/T