ページ: << 1 ... 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ... 19 >>
まちづくり活動拠点施設とされた「小弓の庄」。
明治42年ごろ 加茂郡銀行羽黒支店として建築され、五条川小弓橋の近くに復原・公開されて10年。
表側のサクラの木はよく目にするが、落ち着いた裏庭は目立たない。
モミジの色づきが 美しい。
五条川のサクラ並木道。 ソメイヨシノ。
ところどころに ヤマモミジが。
地元の保育園前(いまは 子ども未来園と改称)。
どの教室からも眺められる位置。
子たちはこの下を毎日通う。
お父さんお母さんも、通ったモミジ。
子どもたちも孫たちも、通い見上げるモミジの樹。
サクラとモミジ。 無言の教え。
傍のものが とやかく言うのは野暮というもの。
思いっきり色づいて、葉を落とし、
新しい春のために 冬ごもりにとりかかる。
今年の秋も しずかに過ぎていく。
通りすがりに足を止めて、見とれた紅葉。
生まれてこのかた古稀の歳月、
春には 花のサクラ。 秋には 紅葉。
毎日 この下を通る。
空気みたいな存在。
サクラと言えば「ソメイヨシノ」。
江戸後期に下町・染井に生まれた「ソメイヨシノ」は園芸品種。
オオシマサクラとエドヒガンの一代交配種。
開国機運、維新・文明開化、お花見風俗の上昇気流に乗って、あれよ あれよのうちに「花見」「サクラ前線」の代名詞に上り詰めた。ウメ(梅)、キク(菊)をさておいて、「国の花」並みの特別待遇。
花に実は付くが、実生はむつかしい。
もっぱら接木、挿し木で苗木の大量生産がなり、日本中に広まった。つまりはクローン種だから、地温気温、湿り気など条件が整ったとき、どの木もいっせいに開花する。
これぞ クローン種の真骨頂。
江戸後期。 出島で作った人工島・・吉原。
中州ふうに回廊を盛り土して、人の往来を誘導し、規制した知恵者は、盛りり土を固めた堤防を より強固にするため、ソメイヨシノを植樹する。
「お花見」を はやしたてて、人を呼び寄せる。
人出の足の裏で踏み固めさせ 土木工事を完成した。
花見の足裏固めは、諸国の治水・堤防工事の裏技として普及し、河川改修したら、競って ソメイヨシノを植える。
工事の仕上げは「花見の賑わい、お足の裏」が、この国の治水工事の定番となった。
ソメイヨシノも 樹齢60~80年で寿命、といわれる。
幹も根も空洞化して朽ちる(芯材腐朽)。上品な花だが、足腰は弱い。
幹が朽ちて消える頃、土中の根っこも土に還る。
踏み固められた土中で、空洞をつくるから、
河川管理者は堤防強度の維持対策を手抜きしないように。
見た目に強固な堤防も ひとたび増水したら 水のチカラで崩壊する。
先人は、シキザクラ(四季桜)とオカメザクラを混植して、
四季にサクラを愉しむ ドングリ広場を造り、育ててきた。
五条川の放水路:新郷瀬川は天神橋の 林崎公園。
丸山白山の東之宮古墳を 近くに仰ぐ憩いの場。
「四季桜」は三河の(旧)小原村。
「冬桜」は鎌倉・瑞泉寺。そして群馬・藤岡市。中国chinaにも。
「不断桜」は伊勢は白子や、湖東三山・西明寺。
「十月桜」は遠州・三ケ日山地や美濃の谷汲・根尾とか。
いずれも 「サクラは春」の観念から離れて生きる。
「サクラ」は、ヒマラヤ・チベットから、中国、朝鮮半島、日本列島に広く分布して自生する花の木。
日本に自生するサクラは おおくくりで見て、十数種類とか。
沖縄では 1月から「ヒカンサクラ(緋寒桜・八重花弁)」が満開になる。
ヒマラヤ・チベットのヒマラヤサクラも1~3月。
3月下旬に咲く「ヤマサクラ」。 4月上旬に咲く「オオシマサクラ」。
3~4月に日持ちのいい?「エド」ヒガン」などなど。
3月27日は「さくらの日」。
サクラは花良し、葉桜善し、色づく紅葉好し。
シキザクラ(四季桜たち)の けなげさ、なお よし。