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「日本晴れ!!」
いいことば だ。
昨夜は「仲秋の名月」を満天の夜空に仰いだ。
そして 今朝は 日本晴れ!
ぴったり三カ月ごとに 春夏秋冬がある国。
”瑞穂の国””大和”。
言うこと無し。
雲ひとつない大空に感謝。
仕事がら、クルマで高速道路をよく使う。
移動の時間を活かす「エコタイム」を選択。
安全に 安心で。 できれば安く。
眠気を感じたら すぐ仮眠。一番近いPAへ停めること。
「時間を活かす」は 体調管理と安心運転も同じ。
高速運転で疲れない手立ては、「車間距離を確保する」。
前方の道路事情、前車の運転くせに 左右されにくくする。
登坂・下り坂、乾いた路面・雨降り雪降り、夕暮れ・夜間など、
経験的には「車間70㍍」が 気持ちが落ち着く。疲れにくい。
高速運転で疲れない手立ては、もうひとつ:「定速走行で」。
(物流トラックが多いと、走行車線か、追い越し車線か、が悩ましい。)
ほどほどにクルマが多いときは、走行車線を 定速でいく。
車の流れは、不思議とダンゴ運転で流れている。
前車に接近するまで追いかけて、ブレーキランプを多用しても、
10km先で1分ちがいだったりして・・。
「定速、車間70㍍」走行は、なにより事故回避・安全運転。
ダンゴ運転の前方詰まりにも、影響されにくくブレーキ踏み込みは少ない。きっと「燃費効率がよくて」「タイヤの減りも少ない」と一人合点している。
たぶん、ダンゴ運転から始まる自然渋滞を減らす効果もあるのでは。
【写真】高速道路網 (伊勢湾岸自動車道・湾岸長島PAにて)
農業法人、企業の農業参入、農業規模の集約・拡大。
農業へ新規就業。・・・。
いま農業は、新しいビジネスチャンス、ビジネスモデルつくりの花ざかり。
ローコスト・ハイリターン。 おいしいものをより多く収穫する。
近代工業社会で培われた管理手法がどんどん導入される。
「三年日記」を愛用し、ことしの田畑の事情に似た年の覚え書きを読み返していた親父さんなら、いまの風潮をなんと見るだろうか。
人工水耕や水・肥料の管理で、より多くを収穫する農法は、
「土の力を、20年も経たないうちに、
地力再生が不能な 土壌汚染・土壌破壊をもたらし、
子々孫々に美田を残せないぞ」と、嘆くだろうな・・。
限られた田畑の耕作面積から、農業収入を安定的に増収と確実な見返り利益をはかるには、二つしか道はないのでは・・。
ひとつは、収穫できる野菜・穀物のすべてを、最大限有用に、そのまま売れるもの・食べられる物に加工して消費者に提供する。
できれば農業者みずからが消費者に直売するか、陳列ケースまで農業者が直接納入・販売すること。
ふたつには、田んぼ・畑の農作物の生育事情に合わせて、人も機械も物流も、稼働スケジュールが組まれるべきもの、ということ。
百姓の作物の農作業には、「定時労働、定休日は無い」ということ。
サラリーマンから転職・就農する人たちが成功する、夢を実現できるかどうかは、この二点にあると思えてならない。
とうの昔、今は亡き親父さんは「三年日記」を愛用していた。
工場機械仕事や役所仕事でもあるまいから、
野良仕事、百姓仕事は前年同月同時刻に、
同じ手順で同じ仕事をやるわけがないじゃないか、とは思っていた。
自分が畑仕事のマネごとをやるようになって かれこれ10年。
「農業、畑仕事は経験産業だ」「自然には逆らえない」
「蒔かぬ種は 芽が出ない」
「畑仕事は草取り(雑草取り除き)に始まり草取りに終わる」
「作物は亭主の足音の数だけ よく育つ」
などなどが、ボツボツわかってきた。
作物の作付けに合わせて、水やり、草取り、施肥をして、
できるだけ手間暇少なく、あいしいものをたくさん収穫する。
そんなことばかりに 気を取られてきた。
「三年日記」を10冊以上も書き留め、読み返していた親父。
”カレンダーに合わせて、畑仕事をしていたわけではないようだ。”
実は「その年、その月の自然に合わせて、
作付け、種まき、手入れ、施肥をやっていた!」
つまり、
田んぼ、畑の、その年の気候、気象、おしめり具合などに添わせて、
ことしの自分の農事暦を描いて、畑仕事をやっていたのだ!
「50年も米作りをしてきても、たった50回しかやっていない。」
「以前の経験と 同じに進んだということは、一度もない。」
「米作りの名人には、なかなかなれるものでは無い。」
してみると、3000年も水田稲作農耕民族の日本の米作りは、
世界に冠する稲作文化(カルチャー)文明国だ。
毎年、今ごろから書店に来年用の日記帳が並ぶ。
親父さんは いつも三年日記を愛用していた。
田舎の本屋さんではなかなか売れないのか、買い求めが難しくなると、決まって「すまんが、また、日記帳の新しいのを探してくれ」と頼まれた。
一ページを三つ割りにしたのが無くて、
見開き2ページ分を三段組みにしたものを見つけて、
それを届けたら、大変に喜んでくれた。
天候、気温、五節句二十四節、行事暦、農事暦などの添え書き入りが良かったのだろうと思っていたら、
後日、「大きな字でも たくさん書けるから」という。
そうか、耳・眼も大声・大書きするようになったのだ。
親父もいつまでも若くはないんだ、と納得した。
去年のこの日、何をしてたかということが、
なんでそんなに気にするのだろう?と不思議だった。
自然を相手に百姓仕事をするのに、そんなに大事なことだろうか、と。
(あれから、もう40年以上になる。いま 親父が書き留めていたことの意味・核心が分かりかけてきた・・・。)
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