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「もみじ狩り」の季節到来。
樹木の中で、好きなのは ブナとケヤキとカエデ。
田舎暮らしを続けて 庭木にもケヤキとモミジ。
建築建材用材の高機能化素材研究開発の仕事に取り組んでいた頃、各地の森林組合を訪ね、育林伐採現場の山に立木調査に分け入った。
敦賀湾、能登半島、能代・白神山地など日本海側の山地の谷間や斜面に、ヤマモミジ(山紅葉)の高木をよく見かけた。
沖縄、薩摩、日南、土佐、紀州、房総、三陸など太平洋側の山地ではあまり見かけなかった。
田舎暮らしの、この地方で見かける「ヤマモミジ」は庭木(園芸種)として苗木を植えて拡がった由来ものと考えられる。
ヤマモミジは「山紅葉」と字を当てられて、
美しい日本の秋の「日本代表選手」と愛でられている。
犬山城 天守に登る。
久しぶりに登城した気分。
下足番が居なくなった。”行政改革””リストラ?”
履物はポリ袋に入れて各自携行して登れ、と。
片手がふさがって、急な階段の昇り降りが危うくなるのに・・。
室町時代後期1537年(天文6年)に織田信康が築造。
尾張下4郡・上4郡を制圧した清須城の織田一族が、
美濃の国・斉藤氏、土岐氏に対峙する要所とした。
内側も石垣が壁であり、梁・天井は剥き出し。
天井板が即、床板。華麗な装飾は無い。
胴衣・脛当ての武者姿が似合う、戦国の雰囲気。
関ヶ原以降に各地に築城された”名城”とは戦略意図がちがう。
藩主の石高、威光を示す象徴ではない。
天守から四方を見渡すとき、 その絶好の立地に 絶句。
まさに”天下を取る気を起こさせる”戦国の城だ・・。
(西に金華山・斉藤氏、東に土岐氏を一望するベストポイント)
国宝・犬山城。
木曽川の激流に接した断崖絶壁の山城。
海抜80㍍の山上に5㍍の石垣を敷き天守19㍍。
天守に立てば、目線は標高100㍍。
濃尾平野を一望に見通す山城。
名古屋城から伊勢湾、伊勢神宮・神の山々を遠望できる。
西国への道:鈴鹿の山、伊吹山・関が原に囲まれる濃尾平野。
東国への道:中仙道の鵜沼宿、木曾材舟運の筏材木改め所。
入鹿池堤防に立ち、博物館明治村を散策するのも海抜100㍍。
100年前までは 天下を治めるとは標高100㍍だったかも。
「和太鼓と 篠笛」 一人演奏の舞台を楽しんだ。
演奏者は 石牟田 安 さん。
和太鼓演奏といえば、連、団、組を組んでのグループが多い。
演者 石牟田さんも つい先ごろグループから独立した由。
ひとり舞台は やっぱりしんどいなぁ。
半端な覚悟では とても勤まらない。
大太鼓は、人が初めて耳にした音:
母のおなかの中で聞いた、母の心臓の鼓動そのもの。
理屈なし! 充分に 楽しませてもらった。
母の鼓動で生まれ、歳を重ねてたどりついた「この響き」。
仕事の帰り道は 小牧東ICから、
尾張パークウエイ、入鹿池、明治村脇を抜ける。
いつもの景色には 慣れっこになって、
季節の色にも 鈍くなる。
入鹿池堤防道路を通る。
色づいてきたなあ・・。
水位 海抜88.5㍍。
入鹿池の水位計は 海抜(標高)表示。
堰堤(堤防道路面)が98.85㍍。
(堤防に立つと 自分の目線が海抜ちょうど100㍍)
水深はせいぜい3、4㍍だろう。
1633年に築堤されてから375年余。
五条川の上流から運ばれた土砂で 数㍍以上浅くなっている。
海抜100㍍に拡がる明治村の外周をぐるりと廻って ご帰還。
(入鹿池堤防から。海抜100㍍。配水塔うしろが明治村・品川灯台あたり)
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