since20120802 

石上げ祭

石上げ祭 石上げ・花火打ち上げ・火振り

石上げ祭の由来

 その昔、ある信者が尾張富士に登り、願い事を石に記して祈願した時のこと。その夢枕に尾張富士大宮浅間神社の御祭神である木花開耶姫命(このはなさくやひめみこと)が現れ、尾張富士が隣の本宮山より低いことを嘆かれました。
 そこで信者は木曽川の清浄な石を山頂へ積み上げたところ、願いが叶ったといいます。
 そのことが村から村へと伝わり、人々が石を奉納して村中安全・五穀豊穣・子孫繁栄などを祈願したのが石上げ祭の始まりといわれています。石上げ祭の起源は「古くから」と伝えられておりますが、約180年程前の江戸時代、天保7年(1836)「天保の大飢饉」の翌年の年から盛大になり、最盛期は大正から昭和の前半にかけてであります。現在は毎年8月の第1日曜日に行われています。


石上げ祭りの見どころ「献石」とは

 石は番線や鉄鎖で太い棒に結わい付けられ、さらに担ぎ手の数だけ棒(リンギ)が取り付けられます。そして献石の上には、榊や青竹を立て、それに願い事を書いた赤・白・黄・青など色とりどりの布(お手拭)を飾り付けます。
 そして「石連」と呼ばれる地域や会社などのグループによって、この石が奉納されます。32人で担ぐのを、「32テン」吊りといい、これに長い引き綱が石の前について、数十人の引き手がつきます。大きな石連になると、200人もの大組織になることも。
 奥宮までの参道には、今までに奉納された大小さまざまな石がたくさんあり、2,000以上とも言われています。
 石連グループによる献石ばかりでなく、家族連れ用の2人で担ぐ献石も1セット300円の奉献料で用意されています。祭りの当日でも受け付けられており、家族連れに人気です。ゆっくりでも、約40分ほどで登れます。東西南北ひろく美濃・尾張の国を見渡し、登頂の達成感を味わいながら、食べるおにぎりの味も格別です。


夜のクライマックス「火振り」神事

 夜になるとクライマックスの火振り神事が行われる。幼児から成人までの男性が白装束、白鉢巻姿でたいまつを背負い頂上まで運び上げ、参道の各所にもかがり火用の薪を高く積み上げ火をつける。
 太くて長い荒縄の先に結わえた、大きなたいまつに火を付け、グルグル振り回しながら、頂上の奥の院から麓の大宮浅間神社まで、険しい山道を一気に駆け降りてくるという、勇壮な火祭り神事です。近在近郷はもちろん、濃尾平野なかほどの一宮市からも遠望できる程の、巨大なかがり火の灯りがあがります。


有名人の献石

 献石には有名人の碑もたくさん見られます。有名人の自筆による格言や座右の銘などを刻んだ献石を建立して、見物する多くの人に人生の教訓や参考にしてもらおう、尾張富士を文化の山にしようというものです。
 王貞治氏(元巨人軍監督)、成瀬正俊氏(前犬山城城主)、森繁久弥氏(元映画俳優)、八代目玉屋庄兵衛氏(からくり人形師)、中曽根康弘氏(元首相)、海部俊樹氏(元首相)など